年を取ると、若い頃に聞いた音楽ばかり聞く

Neatorama(Read the research on what has been termed “music paralysis”)経由でたまたま見かけた記事(When Do We Stop Finding New Music? A Statistical Analysis)。
年を取ると新しい音楽を探すのを諦め、思春期時分に聴/聞いた音楽ばかり好んで聴くようになる、なんてのは床屋談義/居酒屋鼎談的によく話します。
その場では共感を交わすのですが、別段統計があるわけでもないので、そのたび揮発的な話題の消化止まりなんですよね。

上の記事はSpotifyのレコメンドAIによって音楽嗜好が固化していることを知って自身をMusic Paralysis(麻痺)と揶揄したエピソードから始まる、統計ベースの論考もといエッセイ。

むろん文化圏次第で結果はブレますし、統計のソースを幾つか確認できない(NYTを自分は購読していない)ので間接的な判断になってしまうけれども、同意できる面は多かった。

たとえばリスナーが13〜16歳の間に聴/聞いた音楽が最も再生されるとか、不可避的に「昔の音楽のほうがよかった」と感じやすいとか、音楽探索は24歳がピークで30過ぎると極端に低下するとか。
この固化の理由について、選択肢多すぎ、忙しい、子どもの世話で時間がないと答える人が多い一方、それらが客観的に解釈されたものが興味深い。

  • 加齢に伴う音楽の重要度の低下
  • 聴く場面がプライベート時間に収束されていく

呼応するエモーションに対し加齢に伴う変化をグラフにしたものも興味深く、単純な増減となるものもあれば、少し山を見せるもの、あるいはMellowのようにまさかのS字状となるものも。
見たままでいえば、Mellowな音楽は若い間は好まれないのに20代後半でよく聞かれ、50代後半に向かって聞かれなくなっていき、60代後半に向けて好まれるようになる…これは、同一人物に対しての調査でないだけに各世代の時代背景が多分に影響しているとは思うのですが、それにしてもここまで特異な曲線になるのがほかにない点で面白い。
アーティスト側の表現欲求にも少なからず似たような傾向があると思われますが、ファンとそれが合致しないと離れられてしまう恐れがある、というふうにも考えられそう。それは当たり前のことなのだけど、こうして参考程度でも統計になるとシリアス度がちょっと違う

何にせよ、年を取るにつれ時間の捻出が厳しくなっていることと、一方でそれを本来解決するためのレコメンドエンジンがマーケティング的な手法でしかレコメンドしてくれないことと、現代においてはそこがジレンマになっているような気がしますね。最近はYouTubeの履歴消すと何もレコメしてこなくなります(プレミアム登録してないので)。
老害(経験則の呪縛、保守化)みたいな言葉で、こうした色んな要素が絡み合ったものを抽象化しちゃうのは少々もったいない。

元記事のまとめ部分にも示唆的要素が多かった。海外記事らしく、こちらにはよくわからん比喩も多いのですが、単純に面白かったので興味のある方はお読みになるとよいかも。


典型例としては社会人バンドが彼らの若い頃に聞いた音楽しかやらないとか。
今っぽい音楽を欲しいと発注を受けて、張り切って作ったのに、クライアント側の感覚のほうが古くて、リテイク繰り返されるうちにどんどん貧乏臭いテイストになっていくとか。いっそ作曲者の名前出さないでくれと頼んだことも実は過去あります。

音楽に限らずこうした傾向は少なからずあるとは思っていて、残念なことに(上の記事でも示唆されているが、なお自戒を込めて)それでも自分が最先端をよく知っていると思い込んでいたりします。
謙虚であるべきかどうかって話はちょっと軸がずれていて、少なくとも統計的にどうもそういう傾向が強いようだよと、そしてあくまで統計だからその傾向に当てはまらない人もそれなりにいるようだよと踏まえ、その上であれこれ考える必要がありそうですよね。