雑記帳 220730

7/30

4年ほど経ちますか、今日は義父の祥月命日であります。
距離の問題もあってお会いする回数も数えるほどでしたが、結婚を喜んでいただけたのがいい思い出です。
うちの祖母も他界してだいぶ経ちます。最後の数年の記憶は、元気だった頃の記憶よりだいぶ強く残ってますね。詳しく書く気はありませんが、孝行はしとくもの。自分のためにも。

アカウントに関する脆弱性(移管記事)

うちが日記で紹介している各デベロッパーを使用する方々においても他人事ではないため、取り上げておくことにします。
SSOに対応したデベロッパーサイトは今のところ見た記憶がほとんどないのですが、コンサルにそそのかされて警戒が甘いままSSOに対応するデベロッパーが今後出てこないとも限りませんし、界隈でいえばそもそも確認メールを飛ばしてこないサイトが体感で半数近くあり、二段階認証への対応に至ってはほぼ見ません。乗っ取りの下準備が既に整っているというと怖すぎかもしれませんが、各サイト、しきりにアカウント登録を迫ってくる昨今ですので、ユーザー側も一定の警戒感を必要とすると思います。

身内が脆弱性

幸いと言ってよいのか、自分にはそんな稼ぎがないし、周囲にそこまで極端な人もいないのだけれど、そこに防壁があるわけではなく、ふつうに地続きだと感じています。
不幸や不安、不平不満は誰にしもあるもので、某氏が言うような乗り越えられる意志を持てるかどうかは人によります。自身がどれだけ満ち足りていようと、鋼鉄の意志を持っていようと、不安がゼロなわけじゃない。モノづくりをする人だって、ほぼ常時産みの苦しみを感じています(自分の場合は気持ちの中で趣味と割り切ること、その他で、少し気楽には過ごせてますが、誰しもが気楽に過ごせてるわけではない)。まして昨今のような社会不安に満ちてる状況であればなおさら。
願わくば、そうした脆弱性につけ込む人が無くなってくれるのが一番いいのだけど、なかなかそうもなりませんね。

追記:特定屋

本記事の執筆時間と時系列が逆転することになりますが、プライバシー的な話題なのでここに追記として記すことにします。

わりと自分とは関係ないやとか、自分はストーカーされるほどの人間じゃないやとか考えちゃいがちなのですが、はっきり言って、自分に恨みや妬みを持つ人間がいない保証など一つもないし、このご時世、無辜の人間に面白半分に危害を加えてくる人間だっているわけで、警戒するに越したことはないと思います。
あるいは、特定して知り得た情報を第三者に渡してゴニョゴニョする人間だっているかもしれないし、自分が知り得ない場所に恥ずかしい形で晒される可能性だってあります。

やや関連して、これ。

店長が号泣し訴え…現金等盗まれた釣り堀で魚3000匹が大量死 窃盗犯が電気配線切っ...
『店長が号泣し訴え…現金等盗まれた釣り堀で魚3000匹が大量死 窃盗犯が電気配線切ったか「従業員殺された」』

このニュースについて思ったままを某所に記したら予想以上に反応された(賛同なのか晒し目的なのか知らん)のだけど、わかりませんよ? 犯人の弁があるわけじゃないから邪推に過ぎませんが、ここんとこ目に入るニュースや話題で、ことのついでにヒトサマを愚弄したり、もののついでに他人の成果や矜持を踏み躙って取り返しつかないようにしたりってのが時折目について、自分のことではなくても非常に胸糞が悪い。まあ、そんな感じのことを記して、反応が平常より強かったのです。
自分もストレスは随時溜まるし、軽口として出ちゃうこともないではない。個人差の問題でもあるけど、それでもブレーキは備わってます。良識とかリスペクトって曖昧なものだし、これも個人差を含むものだけど、自分がされたくないことをしないのが最低限だと思うんですよね。たとえよそにくだらないと一笑されるものであっても、時間をかけて育んできたものは大事なもの。時間や精力の賜物なのです。

若〜い!

最近ときたま思うことで、若見えはまだしも、気が若いのは喜んでいいんかなと。いや、バイタリティは無いとダメだけど。
ある程度好きなように生きてきて、外皮的な彫込は同い年の人たちと比べて「おやっ?」てレベルだったりする(らしい)のですが、中身を見りゃ、世の中のことも大して知らないし、世のための貢献もロクにしてない。だから、若くて堅牢な知識体系を持ってる人を見るにつけ、自分はン十年も何してたんだろう(もちろん日々何かを産むために励んではいましたけど)って思っちゃう。経験年数しか誇るものないみたいだと結構ハズい。
冷静に考えて、つか冷静に考えるまでもなく客観的に見て、年食っただけの無知って鬱陶しいんですよね。責任背負いたくないみたいな心理とは別にして、そこまで自分を信用してくれなくていいと最近思うのです。年齢や経験値だけで特別枠に入れないでくれて構わないのですよ。

泡沫人格

最近うっすら思ってたことが何となく図体見えて感じてきたのでメモがてら書きます。批判ではなく、どっちかというと不安視です。別にこの記事をシリアスにとらえていただく必要はないのですが。

エゴサを何年も走らせっぱなしにしてて、定点観測みたいな感じになってるんですが、この1年くらい特に除外検索(正確にはTweetDeck使ってるので「ミュート」を使って除外してる)の調整機会が日々増えてます。ミュート操作自体は造作もないことなので、面倒だなと思う程度でおしまい。ウンザリはするけど、怒りにまでは遠く至りません。
この面倒が、あくまで自分の観測範囲内の出来事に過ぎないと思ってたら、名義カブりが結構そこかしこで起こっているらしい。先日Togetterのまとめで知りました。
複垢って手法自体は昔からあるといえど、思えば日々かなりの数の別垢が生まれていて、単純に用途別に分けてるのかもしれないけど、その頻度が日増しに多くなってる印象があります。これから等比級数的に増えていくのかなって気も。誰だ、Twitterはオワコンとか言ってたの。

ノリで作った別垢、鬱憤を吐き出すための別垢、属するコミュニティごとに分けた別垢、何らかのサービスの恩恵を授かるための別垢など、別垢を作成するニーズは少なくない。これは自分も。
泡沫的に作成するアカウントにおいては名義がカブって誰かが困る心配などおそらくしないだろうと思います。自分もたぶんそうだし、増えたからって前述のようにミュート使ったりリスト使ったりで、ある程度フィルタできるのでそう困るもんでもない。
ただ、ある程度本来の人格が確立されていればそこまで心配ないのだろうけど、まだその道途にある人たちの場合、多重人格化するリスクがもしかしたらあるかもしれません。SF的ですけどね。
別人格といえどその演じる人格の完成度を高めようとするモチベーションはわからないでもなく、ただ、表向き真面目な人が、ストレス発散のために使っていた破壊衝動のある人格を担わせた別垢に飲み込まれるようなことも、あるかもなあって。うっすら不安を感じています。

じゃあアレもコレも我慢して一つの人格に押し込めなきゃいけないのかっていうとそれまた違うわけで、アレもコレも我慢しなきゃいけないような世間にならなきゃいいなあと思うし、すんなり闇落ちしない程度に自我を持つほうがいいなあってのと。どれが本来の自分の人格かわからなくなるってのが笑い話で済んでる間はいいけど、それがそれぞれ尖鋭的な人格だと危ないよな、っていう。