CTM Festival

全文およびリンク先全ての動画を見たわけではないので備忘録兼ねた紹介程度の記事としておきますが。
CDMにおける、 CTM Festival に関する論考。興味深いです。近いうち全文読みます(面倒なので訳して記事にしたりはしない予定)。

音楽を含めた創作全般において、いよいよAIは隣家の出来事ではなくなってきてますなあと。
動画、飛ばし飛ばしで見ていて説明もロクに聞いてはいないのですが、ZynaptiqのUNMIXと記されたソフト(検索しても出てこないので開発中なのか架空のものかもわからない)が既存の音楽スタイルやアーティストのスタイルを学習していて、それを通じモチーフをそれらしくアレンジするみたいなシーンがありました。
「アレンジの仕事はなくなります」という言説は成立しうるよねと。

AIは現状、既存のものを評価して内包するとこまでのもの(とここでは言い切っちゃう)なので、基本的にAIによって未知の面白いものは生まれない、あるいは「良し」とされる既存の評価に向かって収束していくため創作物のバリエーションは減っていく、つまり技術は先鋭的なのに結果は保守的一辺倒になるとするのは今ある考え方の1つ。
といっても、それはAIの扱いによってどうとでもなります。
たとえばアレンジでいえば故意に「良くない」評価のものを一つまみ要素として加えることで意外な面白みが得られることを期したり、故意にパラメーターに幾ばくかのランダム性を与えて突飛なものが誕生することを期するみたいな。
「故意に」じゃAIのAIたる所以に矛盾するって考え方もあるし、AIを従えてこそ人間の知が相対的に見えてくるとする考え方もあったり。いま面白い局面かも。

What we can do is to better understand how they work and reassert our own agency.

ともあれ人間側がどんどんメタ的な存在になっていかざるを得ないかなという気はします。
と同時に、メタ的になれない人間はAIにどんどん敗北していくと考えることもできて、そら恐ろしくもあります(作る側の人間に限った話になる…かな…?)。
AIに作らせるとどれだけ作品が面白くなくなるか実践するというのも創作におけるメタ的なアプローチの1つではありそう。
無論なんでもかんでもメタ的になれば良いというものではないですけどね。「メタ芸」とはよく言ったもので、小説や漫画などの世界でメタ芸はもはや化石の扱いですし。

最近、というかこの4,5年くらい、人間がやってるからこそ面白い高度にヘンチクリンなものが幾つか登場してて、自分も興味深く見つめています。Superorganismとか、ちょっと古いけどHiatus Kaiyoteとか。
あの感じはAIが作り上げても、たしかに面白いけど「ああ、バグって要素は面白いよね」で終わりそうな気がします。鑑賞者にとって彼らの表現方法が戦術として消費されて終わってしまうのが非常に残念。
いま頼まれる以外で自分の制作のモチベーションが上がらない理由も、同じく、「人間がやってるからこそ」の部分に興味が向いてるせいでありそう。
あの感じは自分で演奏、またはあえて演奏が不得意な人に演奏してもらわないと、ってね。
だから自分にとってコンピューターで作る音楽(AIじゃなくDTMって意味のほう)は既に折り返し地点過ぎてるかもしんない。
考えようによってはパラドキシカルではあるけど、この泥だらけでぬかるんだ路線を進んだら数年後それなりにいいモノを得られそうな気はしてます。

果たしてAIというものが、この先、こと創作の面においてただの概念と成り下がって一過性の流行で終わるのかはわかりませんが、それだけに現状、創作の面においてAIがどこまで出来るのかは見届けなくちゃいけないでしょうね。これ自体、周回遅れの認識ですが、わかんないから見なかったことにしておくってのだと、あっという間に落伍者の仲間入りしそう。
膨大なデータを揃える技術者の方々にはただただ頭が下がります。

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