Stability AI オーディオ部門責任者が辞任

Stable Audioが立ち上がり、OpenAIを退社した重要人物がマイクロソフトに移ったり、慌ただしいこの頃、Stability AIのオーディオ部門のヘッドを務めたEd Newton-Rex氏が会社の方針との違いを理由に退任したとのニュースが報じられています。

元OpenAIのサム・アルトマン氏ら、Microsoft入社へ - 日本経済新聞
【シリコンバレー=山田遼太郎】米マイクロソフトのサティア・ナデラ最高経営責任者(CEO)は19日、米新興企業オープンAIのCEOを解任されたサム・アルトマン氏がマイクロソフトに加わると明らかにした。同社に新設する人工知能(AI)の先進的な研究チームを率いるという。ナデラ氏が19日深夜(米西部時間)にX(旧ツイッター)への投稿で明らかにした。オープンAIの共同創業者の1人で、アルトマン氏とともに
音楽とサウンド生成のための「Stable Audio」を発表 — Stability AI Japan
Stability AI は、音楽とサウンド生成のための初のAIモデルとなる Stable Audio を発表しました。 Stable Audio は、最新の生成 AI 技術を駆使し、使いやすい Web インターフェースを介して、より高速で高品質な音楽とサウンドエフェクトを提供する世界初の製品です。Stability AI は、20秒までのトラックを生成してダウンロードできる Stable Audio の基本無料版と、商用プロジェクト用にダウンロード可能な90秒のトラックを提供する「Pro」サブスクリプションを提供しています。

要点としては、既存の著作権楽曲をAIの教材とするのがフェアユースにあたる、とする会社の考え方に反対ということ。
制作者の作品を学習させて制作者の職務を脅かすのは違うんじゃないの?というのがEdの考えで、Ed自身が制作者でもあるからというのもあるし、AIは人間を支援する「ツール」であるべきというのもある(シンギュラリティについてはいったん措いておく)し、もっと単純に言えばフェアユースって概念はそれを免罪符として制作者に恩を仇で返すためのものではない…というのもあるかと思います。

日本にフェアユースの概念がない(一般的には、というべきか)こともあり、わりと他所の話と考えられないこともないのですが、表に漏れさえしなければ何をしようが構わないふうな言いっぷりをAI関連に限らず見かけたりもする昨今ですし、そもそも日本含むアジアより欧米のほうAIへの警戒が強い(闇雲にでなく)みたいですし、倫理面の不安はむしろこちらのほうが強く感じます。
ほぼ教材そのものの成果物をさも自分のオリジナルのように出してくるという話を既に聞き及んでいる方も多いでしょう。そうした点でAI自体に対する不信感が少なくとも自分にはあって、その問題を考慮せず何でもかんでも教材として放り込むのには、自分も反対的です。教材としての良質さおよび生産品質を考えれば、確かに既に価値の認められたものを学習させるほうが効率的なのだろうと理解はするのですが。

Is the use of large amounts of recorded music to train an AI model fundamentally any different to the way music has always been created, apart of course from the direct involvement of a human composer?

Is Training AI Music Generation Apps With Copyrighted Music Fair Use? | Production Expert
Is Training AI Music Generation Apps With Copyrighted Music Fair Use? | Produ...
The recent resignation of Ed Newton-Rex from his position as VP of Audio at Stability AI, a leader in AI music generation because he can’t reconcile himself with his former company’s use of copyrighted music in training their model has cast new light on the issues around this rapidly developing area

AIの先鋭化に乗っかる形で仮に「悔しかったらAIが作る以上のものを作れ」と制作者を煽ろうというならば、それを言って憚られないスジの通し方を踏まえるべきだろうと考えます。さもなくば「盗人猛々しい」をなぞることになってしまいます。
ただもちろんそれは、制作者側もふだんから故意に何かを安易にパクったり、手間を省くために価値あるものをクスネるような真似はするべきでない、ってことも同時に示しています。他所の事をとやかく言う自分は言えるほど純潔なのか、ってのは昨今ほうぼうの悶着において二の次にされてるような印象があります(純潔以外は口出すなという意味ではなく、その身でどこまで言えるのかという意味)。