ググラビリティ

この言葉見るの初めてじゃないような気がします。

「来る」に関しては、「いきる」を引き合いに出してる人がいるの見て、補助動詞(〜してくる、〜持ってくる)にもなる言葉使ってるのが輪をかけてまどろっこしいなと思いました。
文章術やマナー本、編集テクの話題で、補助動詞的な「ほしい」「ください」「くる」「やる」は漢字にせず開くって話が一般的なのは知ってます。でも、漢字で書いちゃう人がそれでもいるわけでノイズはノイズでさぁね。車の来る方向だけ見てれば車に轢かれないってわけじゃない(=逆走する車がいりゃ轢かれる)のと変わらない。
それはいいんですが、まとめサイト等による検索汚染の話題ってけっこう前から目にしてますよね。
ふと思ったのが、SEO云々やGoogleの検索結果表示ポリシーの転換のせいも決してないじゃないけど、有用な情報が断片化しちゃうとまとめサイトが相対的に上がってくるんじゃないかなって。根拠はない。ただそう感じただけ。
自分もこうして日記まがいの記事を書いていて、一から説明することって実はあまりない。
たとえば「MIDIで内部的な結線をするとこのソフトからこの音源を鳴らすことができるよみたいな話題」を綴るとき、MIDIとは何かから話し始めることはほぼない。
そこまで極端じゃないにしても、ブログのような形式に何らかの情報を載せていくとき、よほど必要じゃなければ説明済みのことを何度も書きはしない。
検索エンジン自身が現状そうした断片的な情報をつないで結果を提供してくれるわけじゃないとなると、純なる善意であれ”あさまし”(Amazonアフィ隆盛時、アフィの貼られたサイトは”あさまし”などと呼ばれていた;嫌儲よりもう少し昔だったか)であれ、まとめたものが有用として検索上位に来る可能性あるかなあなんて。

もちろんね、検索結果を絞り込む技術が必要ってのはわかるし、ふだん特にためらうこともなく絞り込みワード増やして検索するわけだけど、そんな必要ないのが理想ですよね…。
書籍の都合のよさが語られる中、そういや3日前に勝間和代さんがこんな記事を書いてて(Kindleの読み上げをICレコーダーを使って1度MP3化すると、劇的に使い勝手が良くなることが分かりました – 勝間和代が徹底的にマニアックな話をアップするブログ)、「便利にする方法がめんどくさい」ってコメントも見えました。
そういう時期なのかも。

何かのトレードオフで今の検索結果がノイジーなのだと自分を納得させようとしてるのだけど、何のトレードオフなのかはよくわかんない。