雑記帳 230115

ほんとは昨年のうちにまとめておこうと思ったけど、タイミングを逃しました。
訃報に押し出される形の更新がやや不本意ではありますが…。

高橋幸宏氏、死去

雑記
雑記

YMOに強く影響を受けた世代の自分。
YMOに限らずだけど、自分が強く影響を受けたあと数年で、そのグループが解散直前とか主要メンバー脱退とか、そういうのが多い。何の因果かわかりませんけどね。
解散や活動停止後にもっと彼らの音楽を聞きたくて、代償として模倣したものを作る、みたいな行動が自分の創作モチベーションの根っこの根っこだったと改めて思います。

YMO時代とそのあとしばらくの幸宏氏の作風は、当時の自分にとっちゃあまり好むところではなかった。だけど、彼ら全体の音楽にロマンシシズムを与えていたのは確実に幸宏氏だったろうなと、だから耳が奪われたんだろうなと、今なら思います。全部が全部ではないだろうことは言うまでもなく。
神経症を患うくらいに心労もただならぬものだったろうと。つくづくそうした位置づけの方が命を削らされてゆくのだなと。
もちろんどんだけ彼らのことを知っているのかといえば、作品と文献で知れる限りだし、それだって全てに目を通せたわけではないのだけど、少なくとも自分にとって大きな位置づけであることは間違いない。

今もなおですが、彼をニューウェイブ系の人と自分は認識しています。くしくもこの数年の音楽を大きく動かしてるエンジンの一つですよね。還ってゆけたとするなら、ポジティブに見送らねばと思う次第です。

尊敬していた順に人が世を去っていく、そんな年齢に達したんだとしみじみ思わされます。

褒めたつもりの言葉でも裏返すと排斥的に聞こえるという考え方

少し古い話題になりますが、たとえば異性にかける言葉がセクハラになるのかどうかって話。
一般に、自分が善意で発した言葉だろうが相手がハラスメントと感じ取ったならハラスメントだとされてますね。自分もそう思ってます/ました。これについて、高身長の人が先手を打って「バスケはやっていません」と言った、ってエピソードが某所に寄せられていて、もちろん自覚があって先回りすることとハラスメントとは事情が違うと思いつつも、ふと思い出したことがあります。

日本に住んでる外国の方とある程度付き合いが長くなってから言われるのが、「箸の使い方がうまいですね」とか「日本語がうまいね」「よくそんな言葉を知ってるね」と褒められても嬉しくないってこと。
これらは「箸の使い方が上手いことに違和感がある」の裏返しで、仲間になれてない事実を突きつけられたように感じるとのこと。拒絶する気持ちが微塵もなくても、表現によってそのベクトルの力を受けるってこと。
なまじ日本人は回りくどい言い回しを好むってのを知ってる外国の方であればなおさら褒め言葉の裏を感じ取ろうとするかもしれない。

悪意がなくとも排斥的に響いてしまうとすれば、それは本意じゃない。「相手がそう感じ取ったならハラスメント」の真意はここだろうと思うのです。
前置きをすっ飛ばして、ハラスメントかどうかの状況判断の主導権を相手が握ってるからと考えるのは、ちと性急過ぎるように思います(発言する/される側を問わず)。

言うまでもなく自戒を込めてですが、背が高いとか美形であるとか、事実であろうと、それを言って終わりにするのでなく、羨ましさがあるなら素直に「羨ましい」と言うだけでも、行き違いはいくぶん回避しやすくなると思います。もしここで自身が仮に補い得る言葉が「羨ましい」でないなら、表現以前に相手に対してネガティブな感情が存在していると思ったほうがいいかもしれません。

エンベロープジェネレーターで誤解を受けやすい部分

まったく話が変わりますが、コンプレッサーと同じくらい初心者が勘違いしやすい概念として、サンプル再生におけるエンベロープジェネレーター(EG)の役割ってのがあります。
結論的なことを言ってしまえば、木琴みたいな減衰音をEGで持続音にすることはできません。
これ、うまい説明がずっと見つからないのだけど、誤解を恐れず言えば、EGは基本的に減衰させる働きを持っているので、もとが減衰音のサンプルの減衰部分を増幅させて持続音に変えることはできないんです。
いずれもう少しピンと来る説明をひねり出すことができたら、一本の記事に仕立てようと思います。今のところ、これだけでご容赦を。