雑記帳 220529

3月くらいからメモってたもの。

faviconをSVGにしてみた

かれこれ2ヶ月ほど前ですが、大手メーカーのWebサイトがSVGのロゴを使ってるのをよく見かけたんで、なんとなくうちもfaviconをSVGにしてみました(音楽記号のフォントを使ったのをVectornatorで描き直しただけのもの)。WordPressはデフォだとSVGに非対応なので少々面倒ですね。

ほんとに二択?

0か1かみたいな意見表明をよく見かけるたび、ほんとにそれ二択ですかねって思います。
たとえば元気と病気との間には「体調が悪い」って状態があるのに、元気じゃないなら病気と確定するような言い方をちょいちょい目にします。
あるいはAもBも両立できるのに、二者択一でたずねてくるのも。

〜みたいなのがいい

制作ご依頼時にたまに聞くのが「誰それみたいなのがいい」って言い回し。
お互いの「誰それ」の印象がズレてるとき、どんなに出来がよくてもベクトルが違えば作り直しになる可能性があります。人が何かに対して持つ印象ってのは一定ではない。まして音楽や芸術作品みたいに抽象的なものであるほど個人差がでかくなりがち。 言語化しにくいものになるほど、ボキャブラリーや正確さが大事になるもんです。
仕事などのスタート地点でのイメージのすり合わせや具体的指示は、二度手間を避ける意味でも必須。モノづくり以外の仕事で、そんな曖昧な指示を出して相手に無駄な時間を費やさせたら、責任問題なんですよね。

アーカイブ性

うちの分野とは全く関係ないのですが、

これを見て、ブログスタイルは記事のアーカイブ性に長けているけど、古くなってしまった情報はどうにかされないとなあと思いました。
うちもたまに古いセール記事や取り扱いがなくなった製品に関する記事を非公開にしていってますが、正直、全部は憶えてません。この程度の記事数でも大変なんだから、他所はもっと大変かもなあと思ったり。Googleの検索結果から自動的にハジかれるならいいんですけど、そうとも限りませんし、一方で「昔はこうだった」的記事にも一定の価値があるので、あっさり消すのもなあと思ったり。
ただ、間違ってるものはハジかないといけない。見つけたら連絡してね、って他力本願に縋る手もないではないのだけど、仕組みでもっと簡単にできると有り難いな。

ネタのつもり

けっこう前になりますが、芸人さんと若い男性アイドルとが似たようなネタで「スベってる」と感じたことがあるのです。タイミングはまったく別。いわゆる社会人を茶化すつもりで言ったネタが、いや、それ、社会人としては合理的なやり取りですけど…みたいに映ってしまったのです。
合理的に成立して定着した物事が、よそからけったいに見えるってのはよくある話。なんでそんな機能性の薄げなことするんだろうと思っても、経験してみたら確かに意味あるんだってことも多い。いや、もちろん実際よそから非効率と指摘が入って結果やっぱり非効率だってことも多いわけで、一概にいえない(これも上記の「ほんとに二択?」の一つでもある)。
視聴者や観客に一般的な社会人が多い場合だと、まあスベったり、知らないんすかね…と思われかねませんね。
無知って言葉は印象悪いけど、まあ自分も無知だと思ってるし、知らないことって誰にしもあるはずで、それ自体は一つも悪くない。とはいえ、それがマウント取るように他人を茶化すような場面で露呈しちゃうとだいぶ恥ずかしいもんです。Twitterを見て最近よくそんなことを思います。

COVID禍2年

2年ともなると、どういう状況がいつ起こってたのか、既に記憶があやふや。
先日ふと紐解いてみたら、大きな出来事ははだいたい2020年の2,3月の間に起きてました。
表にすると仰々しくなるのでダラダラ書くと、DP号、マスクの買い占めと高騰、北海道での緊急事態宣言と休校措置、五輪延期、イタリアでの帰省パニック、「俺コロナ」、SHARPマスク、WHOによるパンデミック表明、NYの非常事態宣言に続く米国の国家非常事態宣言&ロックダウン、英国首相の感染、感染者差別や地域差別、Zoom飲み会の流行。誤差あるかもですが、ここまでだいたい3月。
その後、国内の緊急事態宣言(GWを跨ぐ)、アート方面への救済予算、スウェーデンの独自戦略、北海道の介護施設のクラスターが4月、持続化給付金が5月。
6月辺りから飲食業や若者や夜の街への風当たりが強くなり、7月には自粛警察が話題になったり「なんてことをしてくれるんだ」が起き、9月頃から変異株が大きく話題になるようになりました(たぶん)。
翌年1月が今思えば阿鼻叫喚に近かった第3波で、米国の大統領が交代、2月にCOCOAの重大バグ議論が起き、3月に最初のまん延防止等重点措置、4月に高齢者からワクチン接種が開始。7月の東京五輪辺りから国際情勢が危うくなり始めている、そんな感じ。超ざっくり。
古い記事をWebから消すメディアが多いので、定かでないものもあります。
時間経過とともに、封じ込めていたハズの国にほつれが起きたりその逆も。危機感が薄れてるとは自分も感じていますし、COVID以外にあれこれ起きすぎているのも事実です。

この2年の変化について各々のまとめ記事も多々見かけました。
うちは業務を大きく転換したことと、家計の負担をもう少し多めに自分が背負うようになったのと、変化としちゃそのくらいしかないですかね。制作は今ほぼ行なっていないのですが、時たま話が来たりしてはいます。

22年後のピアノ演奏

局所性ジストニア、サッカーの事故による損傷、強盗に襲われての損傷と、度重なる障害を遭ってキャリアも情熱も喪ってしまった(と上の記事では記されているが、実際には精力的に活動していた)クラシックピアニスト(ジョアン・カルロス・マルティンス – Wikipedia)が、工業デザイナーの手によるバイオニックグローブを使用して22年振りにピアノを奏でる様子とのこと。下はグローブを手に入れる前の演奏。

余談ですが、マイクロソフトは腕に障害を持つ人向けの入力機器の再開発を行っていますね。

ギターソロはスキップ(移管)

ギターソロが始まるとスキップする若者多いらしい - Togetter
ギターソロが始まるとスキップする若者多いらしい – Togetter

そうでしょうねえ。悲観的でもなく楽観的でもなく、潮はなるようにしかならないでしょう。本質がどんどん煮詰まっていく(本来の意味で)過程と考えてます。
ジャンルによるとは思うのですが、ライブだと間奏場面でボーカリストは曲からいったん剥がれる形になって、オーディエンスにとってはコミュニケーション(歓声、掛け声/コール)できるチャンスって印象がありますね。その意味で、リスニングって状況下ではそうしたコミュニケーションも抜きで思うように純粋に曲を楽しめる機会なんだろうと思います。何を聞きたいかは人それぞれだったりします。
ただ、これがさらに尖鋭化していって仮に、原曲のボーカルすら一度も聞かずにボーカルを消して自分が思い思いに歌えるツールが重宝がられるようになったとしたら、いま現在ギターソロやイントロをスキップする層でも「そんな消費の仕方はけしからん」と言い出すかもしれません。だけど、それはもうそういうものなんだと思います。場合によっては、ライブでもチケットは買うけどライブ自体は見ずにグッズを買って帰るような時代になりえます。