Suno CEO「大多数の人は音楽を楽しめていない」

Suno CEO「大多数の人は音楽を楽しめていない」

ほほう。

某Podcast内でSuno CEOが「大多数の人が音楽を楽しめていない。Sunoはそこへ投じる石なのだ」(超訳)と語った、という話が静かに波紋を広げているらしく。この発言の前提や経緯については原文をご確認ください。
𝕏での「テック企業にとってはその理屈なのだろう…」という反応が上記記事で引用されています。

個人的には、CEOのスタンスも𝕏での反応もある程度理解できるのだけど、多少なりと音楽に携わっている身としても、楽しめているか楽しめてないかってとこを焦点に考えるのはせっかちな印象を受けます。


以下、関連してあれこれ思ったので、まとまってはいないけどメモがてら列挙。

  • AIの未来は、それをコントロール(導いて)する人にしかわからない。下手すると、その人にもわからない。というのが現段階での(最低限の、市民的な)理解かなと。
    少し関連して↓の記事が面白かった。

  • 以前、Stability AIの責任者が辞任するというニュースがありました。この責任者の方は自身も音楽を嗜んでいた、というのが一つのポイントじゃないかなと自分は認識しています。事実としてはそれ以上でもそれ以下でもない。
  • 楽しんでいるかどうかといった論点からはズレるけど、性能を上げるために、面倒な仕事をラクにするために技術を導入/駆使することは今まで山ほどあって、それは何ら責められることではない。ついでにいえば、それは工夫であって、ズルではない。
  • 苦労、苦悩は楽しみとまったく別のものかというと、そうではないと思う。
  • いわゆるタイパとざっくり括られるここ数年の効率化の流行りの中で、動画の高速視聴だとか、AIによる要約、AIによる翻訳、それらのもたらすものと奪うものには多かれ少なかれ違いがあって、その違いについてはもう少し意識したほうがいい気がします。あんまりざっくりタイパとまとめるのはちと乱暴では?というのが個人的な意見。
  • AIに依存した作曲、画像生成、動画生成は面白いし、便利だし、この先もっと精度が上がっていくと思うが、たぶん(何故か)飽きが来る。というか、既に飽きを感じつつある。
    • これがたとえば簡単に出来ちゃうと飽きが来るみたいなものだとすれば、楽しさってのはそれなりに苦労を伴うものなのかなと思う。かどうかは知らんけど。のようなものだとしても、それを一時が万事と考えるつもりはない。
    • いやいや、プロンプトみたいに面倒なものを強いられるから、ラクに見えても実はラクでもないんだ、という意見も一理ありそう。

余談。音楽ソフト業界におけるAIの活用方法は、今もいろいろ探られたり推し進められたりしていると思うのですが、今はいったん落ち着いたという感じ。

基本、海外のソフトばかりなのは周知の通りで、コード進行やメロディ生成みたいな活用方法をよく目にしますね。海外ではバンバン売れてるんでしょうけど、あんまり日本で売れてる印象ありませんね。
その辺り、自分の制作において不足する部分をAIに委ねるとして、じゃあ何を委ねるのかってのが、海外と日本じゃ違うような気がします。
で、そうした面からも、AI脅威論の度合いや中身が海外と日本で違いそうだなと思ったり。知らんけど。