指定せず選ばせるのは責任逃れという考え方 2009

世界の「猥褻規制と強姦件数」に関するグラフ:アルファルファモザイク(アーカイブ)の記事が注目されていたんで見てみたんですが、「ん?」と。
グラフになっているけど数字がどこから拾われたものかとか、各国によって性犯罪の括りも違うだろうし時代によっても(法改正とかで)違うだろうし、あと元スレを確認したいのにリンクが見つからない(あるのかも)とか、ハッキリしない情報を見せて無暗に煽っちゃってるのかなあとか思ったわけですけども。

それはそれとして、同サイト内の記事で以前読んだ、「これはイイ!」と思った躾方・諭し方:アルファルファモザイク(アーカイブ)が再び視野に入ったのでたまたま読み返しました。
「~したらいけない」ではなく「~しよう」ってしつけ方のほうがよさげ、という指摘があり、それがどうもできないって反応があって、それを見つつ、ボクもそういうしつけ方が苦手な気がするなと感じました。
で、なんで苦手なのかなと考えたんですが、「~しよう」だと相手の行為を自分が指定するけれども「~したらいけない」だと行為の選択を相手に委ねることができて、それによって自分の責任が薄まると感じているのかもしれないなあと。あ、責任感ねえな、自分、とそのように思いました。

よく見ている言戯3だと、管理人のトシさんの子育てぶりがほのぼのと描かれているんで、自分にも子どもができたらあんな風になんて思ってしまうんですが、当然トシさん自身も無責任に育てているわけはなくてきっと悪戦苦闘の日々だろうと。
責任というと言葉が重過ぎですかね。
子どもは実験台じゃないんで、「子育てに失敗した」って言葉を聞くと、ボクにはその人の重大なミスに感じられます。アンドゥ利きませんから。
といったわけで、自分の親や妻の人のご両親の育児体験はもちろん、育児書だとか上のサイトに書かれたことなど参考にしながら、教育していくようにしようと。
あ、子どもができたらの話。


どうすれば良かったんだろう

どうすれば良かったんだろう
どうすれば良かったんだろう

死にゆく夫に振り回された女性の独白のような記事ですけども、示唆的に感じました。アンドゥ利かないって意味だとこれも似た系統の話である気がします。
「取り返し利かないんだから恥じ入れ!」とか全く思わないし、もともとそういう記事でもないんですが、その代わり、そうした彼ら/彼女らの経験談を自分の糧にしようと思った次第。