なんかいい

いわゆる「なんかいい」がらみの話なんですけど、以前某所に書かれていたのは、「なんかいい」で終わらせないで「なんか」が何なのかを突き詰めようぜ、特にクリエイティブな仕事をする人、って話でした。それはすごく大切なことだと思っていて、加えて大切なのは「なんかいい」という感触を自分自身で捕捉することとか、そのぼやっとしたものを否定しないことだろうなと。

本物の作り手になりたいなら、「なんかいいよね」を禁止しよう。 : ある編集者の気になるノート
本物の作り手になりたいなら、「なんかいいよね」を禁止しよう。 : ある編集者の気になるノート

漠然と思うのは、「なんかいい」って価値判断って極めて内的/内発的というか、他人に依存しない感覚だと思うんですね。何かをいいと感じるときに、経験に基づいて形成された自分の尺でもって判断する場合と、まだ見ぬ何かに得体の知れぬ肯定的な感情の高ぶりを感じる場合とがあると思って、後者のときに「なんかいい」と感じるだろうなと。

作り手として、聞き手にそういう得体の知れぬ肯定的な感情を誘発するような要素を持った作品を作るには途方もない労力もしくは閃きが必要だと思うんですけど、それよか作る早さや確実さを競うのが今のご時世で、やれ3ヶ月に一遍はシングルを出さないと存在を忘れられてしまうとか、そんなスケジュール的な心配が先立って必要になってしまっているのは凄く残念ですよね。シメキリを落とさずに確実に作品を仕上げるのも大事ですけど、そのぶん「なんかいい」ものが生まれる機会が失われているとしたら、これもまたちょっと残念な感じ。