個人作 “Sithean”

Sitheanという穏やか系のアルバムをリリースしました。ボーナストラックとして、まだ作ってる最中のそこまで穏やかでない曲の一部も収録してます。


Sitheanとはゲール語で「妖精の丘」を表す言葉。
20年余り前、3連符系のまったりした自作曲を作るときには(特に思想はなく思いつきで)妖精や精霊の名をタイトルに付けてシリーズ扱いしてました。仮題がそのままタイトルになったノリ。
今回相当久しぶりに、続編OR回帰の意味を込めてまた曲名に使っています。
シリーズ扱いといってもアルバム単位ではなく、曲単位での話なんで、アルバム全体がそのノリってのとは違います。


ジャケ画像はエフェクト加工した上でモノクロにしたのでほとんどわからないと思いますが、札幌駅の地下街。
前作は大通公園、前前作は札幌駅の改札口。
あくせく働くうちに地元を離れる歳でもなくなったなあとしみじみ。
インスタ見ていただくとわかる通り、人や食べ物など生活感の強い写真を撮影することに自分は興味がないので、手元には基本風景写真しかありません。


数年前から急速に創作意欲が減退し、COVID禍に入って楽器にすら触れなくなり、DAWを立ち上げるのは新しいソフトの動作を確認するときばかりになりました。年々嗜好が生音寄りになってきたこと、理想の音が矛盾をはらんできたことが意欲減退の要因かと思います。
昨年秋ごろ、作りかけのものや(もう入手できなくなった)コンピにのみ収録していたものを取りまとめてiTSにひっそり放流してまして、今回の作品群も、あちこち部分的に構成を付け足したり差し替えたりしてはいるものの、基本的にはスケッチの段階で手を止めたものたち。
もちろん古いままってわけではなく、当時未消化だったことや感覚が変わったことで落とし所が見つかった部分が多々あって、それらを反映させています。
現在フルタイムで仕事しながらなので時間に限りがあったのは事実でありながら、結局自分の中で及第点を出せるまでに4ヶ月くらいはかかりました。たかが個人作、されど個人作。


例によって、自分にそれなりに制約を幾つか課した上で取り組んでます。
今回はこんなとこ。

  • ピアノに依存した構造にしないこと
    →和音やフレーズが複雑になりがちなので
  • 分厚さによる迫力に依存しないこと
    →分厚くなって安心しても特に得るものがないので
  • 一時的な思いつきに振り回されすぎないこと
    →不要なら切り捨てることを躊躇わない

要は、自分の感性を過信しない。自分の感性なんて、そうそうロクなもんじゃないので。
こうした自身の肯定と否定の繰り返しになるのは、おそらくみんな通る道でしょうけども、今はその否定の時期ですね。自分の場合は肯定する時期のほうが圧倒的に少ないけど。
言うまでもありませんが、これは自分に課したものであって、万人そうするべきとは全く思いません。

あと制約というのとは違って、方向性としてこういうこと考えてました。

  • 硬質な音は控えること
    →食傷したのが最大の理由。それと、自分のいまの感覚や制作環境では硬質じゃない音のほうが圧倒的に作りにくく、ラクなほうに逃げず、どうやって落とし所を探すか考える機会とした
  • 不安定なピッチを使ってみること
    →予想外の効果が得られないかの実験(結果、特に面白いものもなかった)

不安定なピッチに関しちゃ今までも何度か使ってみてますが、もう少し露骨な感じ。異なる調律を混在させるのもいずれ挑んでみたい(まだ知識や認識が及んでない)。
テンポは必然的に抑えめ。曲中の旋律のイニシアティブはかなり抑えめ(ボーカルサンプルを使ったものは仕方なし)。ベル音色のメロディが多いのは特に狙いではなく、たまたま。

基本的にスケッチ段階で手を止めたものと書いた通り、これらはスケッチ段階のあと進めるときに見え始めた方針であって、当初から課していたものではありません。
ある程度下ごしらえの済んだものに対して、最近は方針立てたほうが進めやすくなりました(不要な思いつきを切り捨てたあとの話)。昔はそうでもなかった。


「理想の音が矛盾をはらんできた」と先ほど書いたのは「硬質な音を控える」ってのと関連してて、倍音が少ないけど’こもってる’のでなく、厚みはあっても圧力はなく、うねりはあっても周期的ではない、みたいな音。そうすると、これも冒頭の「生音寄り」とつながってきますね。根っこは一緒なんでしょう。
同様にリバーブなどについても、リバーブがかかってはいるけど湿度にあまり影響させない度合いを探した、という具合。

…そう考えると、矛盾てよりも自分好みのバランスを探したってのに近いかもしれない。何につけ「極端」は判断力をあまり使わなくて済むから本来ラクで、だけどもういい歳なんだから按配くらい判断できるようになろう、そんな心境がもたらしたものなんだろうと思います。


dolby atmosを使ってみようと思ったのですが、主に負荷の大きさを理由として疑似立体音響手法に方針転換。
しかしそれも、進めるうちに求めるものと違うと感じ始め、結果、リバーブやディレイを含めた音源や音響の「配置」って手法に収める形で手を打ちました。


書く残しておくべきところとしてはこんなとこですかね。