手話と音楽

聾者でアーティストのクリスティン・スン・キムによる、2015年8月のTED講演がRe-orienting Sound Studies’ Aural Fixation: Christine Sun Kim’s “Subjective Loudness” | Sounding Out!で取り上げられている、というかSounding Out!でクリスティン自身が取り上げられている。
日本語字幕つきで見たい人は(わかってると思うけど)動画画面下の歯車マークでクローズドキャプションを日本語に設定してどうぞ。
見る時間がないので文章で読みたいという人は、TED本家のページをどうぞ。

実は2011年のThe Amazing Sound Art of Christine Sun Kim | Audio Cookbookでこの方を見た憶えがあった。
元来オーディオデータ加工技術を紹介するAudio Cookbookには、閲覧者から「まるでピンと来ないんだが何がすごいのか?」とコメントが寄せられている。
サイト主のJohn Keston氏は「いま自分自身が関わっている案件において、技術面より概念の部分で大きなヒントになったから紹介した」と説明している。

耳にハンディキャップを持ちながら音の世界に積極的に取り組んでいるという点に、僕は深い尊敬の念を覚える。
耳にハンディキャップのない僕ではあるけれど、それだけに、僕が自分自身で把握できていない「耳にハンディキャップのない自分ならではのアドバンテージ」がきっとあると思うのだ。
「アドバンテージ」というと語弊があるが「恩恵」というとまた別の語弊がありそうなので「アドバンテージ」としておく。要するに差異を当人がポジティブに解釈したものって意味。
それを突き付けてもらうには他方の立場の人の’発信’が大きな説得力を持つ。
自分が万が一にハンディキャップを負ってから遡及的にアドバンテージを感じ取るのでは、持っているもの(あるいはときに持っていないもの)を利用するには遅すぎるのだよね。

そんで、内容としては見る前に想定していたのと全く違ってわりあい取り留めがないのだけど、「手話と音楽は両手10本の指を駆使して表現し、少しでも違った動作をするとまるで違う意味になる」というクダリは印象に残った。
手話で大きなジェスチャーを伴って表されるものがあるが、それは音楽でいうと何に当たるのかな、と考えた(自分はよくこういう、類似したものを並べてそれらの違いを表現に反映するって手法を用いる;そうすると差し引き、気付いてなかったことや軽視していたことが見つけやすくなる)。
譜面に記される音楽ってのはその音楽のすべてを表現しきってはいないし、音楽を音楽たらしめる部分は譜面そのものではなく、DAWでのオーバービューやピアノロール画面ももちろん音楽の実体ではない、と、きわめて当然のことに思い至った。
要するに先のサイトの方のおっしゃる「技術面より概念」がサジェストされているかもしれない。
既に存在しているのに気付いていない概念ね。

動画の中で何度か出てくるSocial Currencyという言葉、これはクローズドキャプションの日本語では社会的価値と訳されている。ちょっとだけ引っかかった。
Currencyは元来通貨のことで、つまり「同じ土俵に立つ」ことを指しているのかなと思う。
耳が聞こえることは通貨を持つことであり、耳が聞こえないことで通貨を有することができず社会参加の資格を失している、というのが彼女の言い分と捉えた。
対話したい相手が必ずしも手話を理解できるわけではなく、この辺はいずれテクノロジーの進歩でどうにか克服されていくと思うのだけど、今のところはいちいち’通貨’を兌換してもらう必要がある。つまり一方的に負担を強いているわけだ。

色や匂い、音が連携して感じられるいわゆる共感覚ってやつは聾者にとってどういうものなのかなとも思ったし、別の国でも伝わる国際手話(ISL)っていうのは、動画中で用いられている過去現在未来に関する表現も同じなのかなと思った(比較言語学的な意味で)。

蛇足だが、耳が聞こえなくても喋ることはできるんじゃねえの?って言う人は必ずいる。
耳が聞こえない以上、親や周囲が何をどのように発音しているか、また自分の発音が正しいかどうかをなかなか確認できない(Rachel Kolb氏のTED講演もどうぞ)ので、耳にハンディキャップのない人と全く同じように喋ることは困難なのだ。
以前取り上げたPink Tromboneを思い出したが、発音を理解しやすくするのにいくぶん有益かもしれない。

Pink Trombone がクレイジー