音楽の中で全て語り尽くすべきかどうか

興味深い内容でした。当然他人事じゃなく読んでいるからなんでしょうけど。
「音楽単体のパワーがなくなっているなと思います」の一言が印象的です。

これまであちこちで言われてきた「質が落ちてる」って、必ずしも間違いじゃないかもしれないけど、それはさておいても、実は仮にどんなに優れた音楽であっても音楽単体じゃ耳目を引きづらくなってきていそうだな、と、最近そのように感じています。

音楽に昔から勤しんできた人にとっては音楽っていう一つの分野があったけれども、今は、動画と音楽で一つのモノになっちゃってる=音楽はその一つの完成体から剥離可能で交換可能な要素に過ぎない、って考えちゃったほうがいいかもですね。
だとしたら音楽だけ完成度を上げてもしゃあない。ショボいよりはマシそうだけど。…ん、完成度の高低ってのも今となっては古い考え方かもな。
とりあえず、視覚的なものも含めて完成体に仕上げることも視野に入れるのが今は妥当な策というかリリース手段の一つとして標準なのかなと。ただ、完全にそっちにシフトしちゃうと旧来の方が聞いてくれなくなっちゃうかもしれないので、えー、匙加減は難しそうです…。
でも、やっぱ歌詞と音楽と映像とで叙述トリック(cf. 過疎板で見つけたすごい叙述トリック映像 – 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記)みたいなの、手垢だとは思うけどやってみたいことの一つではあります。そこに踏み込みやすくなったのは喜ぶべき話でもあり。
あ、もちろんこの認識は、アンケート取ったわけでもなくあくまで自分の所感に過ぎないですし、既に色んな方が指摘済みの点かとも思ってます。今さらだったらスイマセン。

そういえばニコ動なりYouTubeなりが今どきの音楽の入手経路だって話題ももはや結構前の話。
風潮はその時からもだいぶ様変わりしているハズですけど、思い返せば当時は、ニコ動なりYouTubeだと音質にこだわらなければタダで音楽を入手可能なものだしねえなんて解釈してました。その時点で見当違いなコトを言っていたのかも。