ネットで接点が増えれば摩擦も増える

facebookで親しくなったアルゼンチンの少年から「日本語の歌詞と日本のボーカリストで曲を作ろうと思っているけど、どうしたらいいかわからない」というメッセージが来てました。この間僕が書いた日記の内容とちょっとカブります。

以前とある企画で海外の音楽大学の学生に演奏をお願いして想定した相場と大きくかけ離れた労賃を吹っ掛けられたお話書きましたが、海外への依頼や斡旋など二度とやるもんかと、興奮のままに一時は思ったもんです。実際は手順がよくなかったのと慣習の違いを想定してなかったのとが失敗のほぼ全て(cf. インドネシアでは日本式インストールしようとしてたら仕事にならない件(webarchive))。

リアルで見えてなかった相手とネットで接することが可能になり、これまで難しかった協業も実現可能になったっていうのは確かにそう。
でも慣習の違いが無くなったわけじゃなく、そうした摩擦の可能性がますます身近になってますよね。
実際に世界飛び回って得た経験とか、人から聞いたり本を読んだりして得たなるべく新鮮な知見でもなければ、素人が地雷の埋まっていそうな土地を一気に駆け抜けていこうという冒険はやっぱり危なっかしいもんです。

向こう見ずな冒険でも力になれるなら手を貸す、とあくまで自己責任の範囲内では僕自身そういう気満々なのだけど、そこに僕が友だちを巻き込めるほどは覚悟ないなと自覚されました。
いかんせん相談を持ち掛けてくるにしては情報不足なのでリスクの度合いを推し量ることもできない(話を持ち掛けるときに最初にどこまで具体的に説明するかってのにも慣習の違いはあるでしょう)。こちらから水を向けて、こちらが事情を把握するというのがこの場合の初手として適切なんでしょう。
ビジネスビジネスしてて何だかイヤだなって思う自分もいるのだけど、国や文化を跨ぐ以上、万が一着火した際の延焼範囲が個人の趣味や思いつきを発端として語れるレベルじゃないとすれば、ビジネス並みのリスクを考慮に入れる必要がありそうと感じています。いや、たいそうな言い方になりましたけど、要するに現時点で自分自身を危なっかしいと思ってるってことです。

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国や文化を跨ぐと書いたけれど、世代間、地域間、特定の集団との間だって慣習が違うことがあって、細かく分けりゃ個人間や分人(cf. 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書))間でも違いがあるでしょうね。
まとまらないけど、まあこんな時間なのでよしとしますわ。