Cyber Punk で Neon なソフトシンセ

筆任せ。
最近の新しいソフトシンセって Cyber Punk (サイバーパンク)テイストで Neon カラーのものが目を引くなあって思いましてね。

以前も書いたことがあって、スマホの類い、たとえばiPhone発売当初は「iPodに電話機能がついただけでしょう? そんなの要りますか?」という言説をよく目にしたもの。
iPhoneならね。と言われても、ドラえもんの「おこのみボックス」と実は変わらないのではと。

携帯電話を予想できなかったのは、電話=伝達ってのがあまりにプリミティブな行動であるために、上位互換としてより高度なテクノロジーが想像されてしまうせいでしょうか。
映画や漫画で宙に浮かんだディスプレイで会話したり情報を目視するのを見かけるのに、それよりもさらに近年ネットで見かける「あなたの心に直接呼びかけています」のほうが未来的に見えるのですよ。もはや携帯ですらない。

私が「ジョブスすげえな、いや、すごくはないか」と思ったのは、かつて夢見た未来の道具(≒ドラえもんの道具)を愚直に実現させようとしてたからでして。
あー、昨日だったかもそんな記事をどこかで読んだか…。
すっかり今は既存のiPhoneの概念の延長をまさぐるだけになってしまったAppleだけれども、ジョブスなら愚直に、宙に浮く端末を思い描いていたかもしれないし、いまのAppleとは逆に”小さく薄く”っていう一見古き良き日のジャパニーズテクノロジーをフォローしてるように見えたのも、極小化して最終的にハンドキャリーを卒業しようとしていたのかもなと思います。

と、わざわざ以前も書いたようなことをもう一度書いたのは、最近Wiggle等に見るソフトシンセのデザインに「あの懐かしい未来」っぽさ(きっとデザイン界では用語があるのだろう)を露骨に感じつつあったから。
U-he Divaの新しいスキンを見たときにもあちゃーと思いました。

cf:

余談ですがWiggleの開発が中国の方と聞いて瞬間にウィグル族の弾圧に対する何かがあるのかと思ったが、そこに触れる情報は見かけませんね。
そもそも中国国内でUyghurとは言わないだろうし、それ以上に、仮に思うところあっても口に出せないのかも。

U-he Divaのスキンは、最初に出てくる画像からするとNIのRazorとCubaseのNeonが一緒になったような画像で、あぁ…って感じなのですが、XY-PadやDynamic Multisaw Displayなんかは初期のシンセサイザーや謎の機器を彷彿とさせる懐かしいデザインだったりします。
KORGの独擅場だったガジェット界の印象をがらりと変えたRolandのAIRAのシリーズにもそういう香りが漂いますね。
こう無闇にサイバーパンクでネオンな感じは、くしくも現在2を制作中のBladerunner(cf. アンドロイドは電気羊の夢を見るか)を僕に連想させます。

サイバーパンクなデザインは唐突に復古したものではなくて、PCやMacの壁紙配布サイトなんかを見てもわかる通り、それを好む人の間でずっと続いてる息長い嗜好。

色味なんか…って、これ1982か。とするといま憧れられる未来は、34年前に思い描かれたものってとこですね。干支三回り弱ってすげえ。
そういやFuture Bassの前身(というと語弊あるか)はそれこそ通称Neonといわれるレトロフューチャー風味だったし、チップチューンライクな音色やフレージングは、EDMでまだ健在。チップチューンもまた、好む人の間でずっと続いてる一つの嗜好。猫も杓子もという感じではなくなりましたが、たぶん充分に浸透したってとこなんでしょう。
Wikipedia見ると、1980年代に一般家庭に広く膾炙したパソコンの存在もでかかったんだろうなと思わされます。

日本の1980年代の、いま見るとなんとも言えないAORの小ざかしい感じは、海の向こうにネオンのごとく眩しいものに映ったのかしれません。
この辺りはこのカルチャーに精通した方が一杯おられると思うので、ぼーっと眺めるだけで過ごしてきた僕がアレコレと綴る気はありませんが、憧れられるべき未来は1980年代に既に日本にあって、ゴールの先は何もないと言えないこともなさそう。マヤ暦じゃあるまいし。
悲観的な口調になりましたが、行き止まりかしれんし、ただ前人未到なだけかもしれんので、漫然と24年前に描かれた未来辺りをウロチョロするよりは、さらに先に進みたいなら、それよりさらに先を描いた未来を模倣したり、逆に「ベクトルはそうではない!日本文化はなお根強い」と思うなら未来指向でなく昨今の主流である何の変哲もない日常指向に切り替えて表現手法をまさぐったほうが、国内だけじゃなく海外でも好まれやすくなるかもしれないなあと思いました。

繰り返しになりますが、僕なんかよりよほどこうした文化の変化に詳しい方がおられると思うので、便所での独り言とでも思ってくれればいいんですが、サイバーパンクでネオンな感じ以降の未来図はたぶん日本に馴染みのあるものではなさそうだと思います。

そして全く話は変わって、先日レッスンの前に、何か面白いネタはないかとネットを徘徊していたら故・戸川純の「隣の印度人」を引き当てました。
見たらこれも1984年とかで、当時もその10年後くらいも「ふ〜ん」としか感じられなかったのだが(すいません)、いま見ると何かいろいろとすごいなと思いました。