Apr.14〜20【週間まとめ】
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雑記
毎度ですが、雑記にはつれづれと思いつきや頭を過ったことをメモとして記しています。
名実
この数年、名前が先行するというか、特定の在り方や行動に何らかの名称が付いて、時が経つにつれ本来の意味合いが薄れるのを見かけやすくなりました。本来の意味合いが薄れるだけならいいのですが、揶揄的、嘲笑的な使い方が定着しやすいのかなと思ったり、何か見下さないと過ごせない人は可哀想だなと思わされたり。

その流れで持ち出す話題ではないのだろうけど、英語の時制である現在/過去/未来形、進行形、完了形の図示されたものが好評だという話題を見ました。確かにわかりやすい。
もちろん実際の会話の局面次第ではもっと曖昧だったり、逆にシビアだったりするのだけど、それを言い出すと門前払いチックになってしまうのでここはスルーしておきます。
教科書に載せたほうがいいと仰るのは、個々の教師が等しく時制の美しい整理を授業の中で担うのを期待できない、教師の説明は今どき生徒の頭に残らないから等しく教科書に載せたほうがマシという面で、なかなかの皮肉に思えました。
ひとえに、こうした時制に限らず合同相似図形にせよ三権分立にせよサ変にせよ対位法にせよ、整理/理解しやすくする「見出し」ってのがあって事実、効率化にとても役立つのですが、見出しだけで理解した気になってしまったり教えた気になってしまったり、学校に限らず、(自分にもその傾向があって)意外と良くない。
必要なのはその見出しに属する枝葉の具体性や、それらの概念を再整理する能力だったり。それができた上で、実際に何か問題を解決したり、新しい発見をしたりするんじゃないのかなあなどと。
三角関数が実社会じゃ使えないみたいなのもこの一環のような気がしていて、使えないではなく、自身で使わないから機会損失してるって考えることができます。
記憶
自分で作った曲が記憶に残っているかどうかって話題があると思うのですが、個人的には9割方記憶に残ってますね。残りの1割は、時間がなくてやむなく小手先で作ったもの。
それらの中間的なものとして、ピンとは来ないが作ったような気のするものってのがあります。音源が残っていて、「自分っぽいな」と感じて、ちょっとしてから「あ、作ったわ、これ」ってのが、これもそれなりにあると思います。
記憶に残っているのが良いか悪いかはわからん。自分にとっては良いけど、他人もそうあるべきとは全く思いませんね。