「どうやって防ぐのか」という立ち位置は、どうしても道徳から自由になれない。
-研修医の潰しかたを考えよう – レジデント初期研修用資料
邪悪の認識が会議室に共有されて、ようやくたぶん、議論の場から「良心に基づいた邪悪」を排除することができるようになる。
-研修医の潰しかたを考えよう – レジデント初期研修用資料
medtoolz氏の記事は毎度なんだか色々勝手に解釈できてしまうので、それが怖いのではあるけれど。
すべきことが次第に抜け落ちていってというか、重要度が薄れていって、起きた問題が大事になってしまうみたいなのもあるよなあ。自分にももちろんある。
たまたま同じ日に読んだ記事を何故か連想してしまった。
褒められてはいけない、というわけではありません。
そういうとき「よしよし、自分の中のエゴが喜んでいるな」という、怖い心の動きに気がつかなくてはならないのです。
-褒められたときは伸びていない:永井千佳の音楽ブログ:ITmedia オルタナティブ・ブログ
具体性を示されたお蔭で、残りの漠然とした不安だとかがかえって浮き彫りになるみたいなこともあるなあ。そういうのを払拭しようとして具体性をひたすら求めちゃう自分だったりもするけど(開発期間とか里程とか仕様とか)、それが不自由や不都合を生んでいる可能性もあるとちょっと思いました。いい加減になってしまうのは困るけど。
ともあれ、そうした景観の違う境地に足を踏み進めたいと思いましたよ。











