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2010年9月6日

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2008年11月19日

近況というか

by makou — Categories: Diary — タグ: コメントは受け付けていません。

明日から出張なので、3日間くらいはネット見ないかもです。無事帰札したら一件だけ報告予定ありますが。

今週入ってからは待ち疲れというか。
臨戦態勢整えておきながらも一向に敵軍やってこないみたいな、もやーんとした日常。

仕事と関係ないんですが、
/ekskleiv/ : jinon: makou: jinon: そうそう、いろんなところでお世話になってる…

jinon:

makou:

jinon:

そうそう、いろんなところでお世話になってる @makou さんがおらのサイトをブクマしてくれたんだけど、そこで「twitterやtumblrなんかでのjinonさんと面白いくらい小説のイメージが合致して る。」ってコメントしてくれてすごく新鮮だった。自分では分からないので…。

実際には会ったこともないのだけど、目の前で語られているのを聞いているような、
他の誰でもない@jinonさんが語っている、そんな錯覚。
あまり味わったことがない不思議な感覚。

それは不思議な感覚ですね。僕も体験してみたいですw

一つ思うのは、それは twitter/tumblr 等のサービスが可能にした、あまり一般的ではない体験かもしれないということです。もちろん、makou さんの感性があってのものであるのは言うまでもないですが。あと多分「境界」(http://jinon.jp/shortstories /kyoukai/001.html)という短編を読んでいただいての感想だと思いますが、あれはかなり古い分、確かに僕のコアの部分が出ているのかもし れないと思います。

それはともかく、一連の makou さんの感想はいろいろと考える燃料になりました。なので後でちょっとした記事をサイトの方に掲載するかもしれません。その際はもちろん引用とかリンクとかさせてもらいます。なにとぞご了承下さいまし。

人となりを知るほど合致感は薄れるかも、などというと身も蓋もなさそうですが。
あの距離感だとこういう感覚になるのかー、と思いつつブコメ書いたのを覚えています。
ちなみにaboutに目を通した後「アイスファンタジー第一話」読んでブクマってから「境界」読んで、twittstarに気付いて足跡付けました。他のはまだ読んでいません;スイマセン。

引用、リンクに関しては容赦なしにしていただいて結構です。

TwitterやTumblr.、あとLast.fmでもつながっているjinon氏の小説サイト(連載やんじのん)がオープンされたのをやや遅れて知って、早速読んでブクマったらTumblr.上でレスポンスをくださったのですよ。

あらかじめ書いておきますが、その日々のTwitterやTumblr.で流れてくるつぶやきやコメントを読んで、憧れを感じる一人なのですね。だから私のほうというと恐縮しまくっているのですが。
あともう1つ、文学詳しくないです。文学どころか全般に亘って暗いです。だからこそ、この歳になって慌ててあちこち徘徊してる…彷徨してるといったほうが正しいのかな、そんな感じなので、もし買い被っている方がいらっしゃったとすればゴメンナサイと(卑屈にはなるもんか!)。

イメージが合致したと感じたその根っこ、それがどこにあるのかなあ、それを今も自分なりに色々考えているのですが、一つ思い当たるのは、ある日のTwitter上での氏のつぶやき(プライベートなことなのと、ログ探すのがちょい面倒なのとで、海に行った辺りの発言というふうにボカしておきます;なんかストーカーっぽいですけど、わりとそういうのが記憶に残っちゃうもんでスイマセン…)で、そのタッチというか、出来事に対しての距離感というか、目で何を見てそれが語順含めてどういう順序で語られるとか、その辺りの印象が一致したのかなあと思っています。
あまり印象のいい言い回しじゃないかもしれませんが、セピアがかって見えるというか。Tumblr.で氏がどういう絵や写真や文章に興味を持たれているのかもdashboard越しに(正確にはフィードですが)見ちゃっているので、何かボクの中には氏に対するイメージができちゃっているのかもしれません。それが合致したのかもしれませんし。

それはさておき、凄く親しいわけではない、だけど日々の(誰に語るでもない)つぶやきを見て知れるのって、案外不思議。
そうした特殊な状況下、いや、人や住んでいる地域によっては全く特殊じゃないかもですが、そんな状況下だとふだんの何気ないことも何気なく感じられるのかも…、そしてそういう時代になってきているのかも…、だとしたら感じられるかもしれないことを逃さず感じられるように常時気を張ることがクリエイトする人間にとっては必要とされ始めているのかもしれん、と感じました。あ、それ自体を今の今まで感じ逃していたのかもしれませんけどね。

話は変わって、↓ここからは下書きしたまま放ったらかしにしていたモノ。

2008-10-31 – とろけるあめ : 作品乞食のススメ
途中で切って意味不明になるとよくないと思ったので全文引用。

なにか映画をみたり、本を読んだり、舞台をみたり、絵をみたりして、それがあまりすきじゃなかったとしても、わたしはそうそう「つまんなかった」で片づけられない  作品からなにかしら得ようとしたくなる。それはせっかくお金をかけてみにいったり、読んだものを切り捨てるのはもったいないとおもってしまう、貧乏、ケチだから。それにわたしの頭はまだ薄っぺらだから、作品からなにか得て頭を更新しないととおもうから。   なにか作品をみたあと、つまんなかったとか、面白くないとか良くないとつっぱねることのできるひとって、いろいろ豊かなんだとおもう。作品を見に行くためにかけたお金なんて惜しくないお金持ちで、作品からなにか得なくたってすでに頭がお腹いっぱいだというひとだとおもう。   作品に対するときは、ぜったい、貧乏のほうが、頭がぺこぺこのほうが、鑑賞者としてしあわせだとおもう

消費者ではなく、あくまでクリエイトする人としてのお話と解釈して。
20代のころ似たようなこと(貶すポイントだけを探して作品鑑賞する知り合いがいるって話だったので、‘似たようなこと’としておきますが)を考えていて、今はまたそれと少しだけ考えが変わっていまして…。進歩なのか退化なのかわかりませんけども。
ブックマークコメントにも書いた通り、あまり好きじゃないものを見て「つまらない」以外の感想を持てないのはお金や時間関係なしに、自分という人間そのものが貧しいのかなとボクは思っています。失敗を次に活かせないのと大して変わらんのじゃないかなと。

2007年11月17日

SAS2007

by makou — Categories: Diary — タグ: , , , コメントは受け付けていません。

明日18日にさっぽろアートステージ2007 : ART!MEET!MART!があって、ちょっと仕事の時間との都合が微妙なのですが、行けそうなら行っておきたいなと。
記念フォーラムに、ボクがお手伝い中のスタジオのボスが参戦してることもあって。

いわゆる‘アート’ってものに対する関心が自分の中で高まってきたのは、わりと最近のことで(さすがにTumblrやるよりは前)、初心者の域は抜けていませんね。
音楽の仕事に携わっていながらこんな歳になるまで脱‘アート初心者’の機会に巡り合えなかったもんか、と妙な感慨があったりします。
で、ぽつぽつと札幌でのアートとかそういうことについて考えさせられる最近です。
思い出したのが、初期のTumblrでのReblogで目にしたナガオカケンメイ氏のBlogの文章。以下、それとはまた別に、改めていま読んでみての抜粋。

知らない土地のデザイン的船頭など、止めて欲しい。その一時しのぎの「きれいごと」がいかにも正しくとも、結果としてその地域独特な生体系を狂わせて行く。
-地場再生の答えは「東京的な成功を追わない」である。 | ナガオカ日記 | D&DEPARTMENT

結果として、席の数の増加は、厨房の食材の仕入れから、ホールで働くスタッフの数を変えて行く。そして、いつのまにかブームは去り、一度広げたものを縮小できずに、経営を圧迫する。
-地場再生の答えは「東京的な成功を追わない」である。 | ナガオカ日記 | D&DEPARTMENT

(↑増田の或る病院の一生を想起させますね…)

国のお金で、付き合いのなかったデザイナーを呼んで、代々続いているモノ作りの骨格に参加してもらうことは、やりようによっては、貴重な企業の歴史を閉じることにつながるくらいの危険な行為だ。少なくとも、以下のことは約束させるべきだ。1 その土地に住んでもらうこと。もしくは、それと同等なことをして物理的共有ができること。 2 販売に深く関わってもらうこと。成功の報酬は補助金ではなく、そこから支払うことはもちろん、事業がうまくいかなくなった場合のリスクもデザイナーと共有すること。最初にその指導者がどんな権威であろうとも、コンサルティング料として多額を支払わないこと。また、そうした条件に理解を示さないデザイナーとは、一緒にやらないこと。
-地場再生の答えは「東京的な成功を追わない」である。 | ナガオカ日記 | D&DEPARTMENT

札幌市文化芸術振興条例が地場再生を目論んだものなのか知りませんが。
ボク個人がよく思うのは、アートなんて元来そんなにカッコイイもんじゃなくてもっと汗臭くて地味なもんだったりするから、作品とかアーティストの恰好だけ見て無闇に憧れを持つのはよしたほうがいいってこと。間口を持つことに対する悲観ではないです。苦労できる場所、もしくは逆にその苦労をちょっとだけショートカットできるような場所(要するに教育機関、実験機関としての場所や批評空間)がいまの札幌には相当少ないと思うってことです。もちろん、それじゃあ増やせばいいというものでもありませんがね。
ネットなんかで札幌みたいな辺境の人でも目にすることが出来るものには、芸術なのか芸なのかハッキリしない作品が多いと思うんで、寒い冬なんかはキッチリ服を着込んで一風変わったアトリエにでもわざわざ足を運んで、現物を目にするとか、そういう方面を奨励していったほうがいいんじゃないかと思います。あと、札幌の人が札幌という土地柄を理解することですかね。

(記事統合:以下、2007-11-23初出)

今週中は非常に濃ゆい時間を過ごしてます。まこーです。
今週末に上げなきゃいけない曲が早々に煮詰まっていて、明日と明後日で形にしないと。せっかく、SazとOudとTablaをレコーディングしたのでうまく活かしたいですね。あと、携帯のほう、ああ、これは後回しでいいや。

遅くなりましたが、一つ前の記事で触れた‘さっぽろアートステージ’を日曜日に見て来ました。
なんというか、正直なとこ言うと、記事立ててまで書くほどのことは何もなかったっていう感じです。
思いのほか人が多くてビックリ。会場がマーケット的になっていて、自分の作品を展示して売っている方や、パフォーマンスをされている方も多く、ライブを見 に来る方、工作目当ての子連れの方、色々でした。まあ、人をたくさん集めるのが目的であるならば、それでいいのかもなと。お目当てのもの見たら帰っちゃう 方々ですけど。それが振興に当たると市の方々が考えているのであればそれでいいのかもなあ。

文化芸術振興条例に対する市の気概を見たいってのが大きくて、フォーラムでどういった話がされるのか期待していたんですが、結局どうしたいのか/ど うなりたいのかがよくわかりませんでしたね。市長の話を聞く限り、ニューディール政策に倣って文化芸術でもって人寄せしよう、折よく廃校になった学校なん かが市内でも余っているからアーティストの活動の場として提供しよう、ということじゃないかと思うんですが…。それは非常にありがたいことなんですけど、 なんというか、こう、それ以上のことは何もしてくれそうにない感じです。充分といえば充分で、ありがたいことなんですけどね。ここから1年の間に、じゃあ 市内の文化芸術レベルが向上するかっていうと、たぶんムリだろうなって思いました。

で全く話は変わって、昨日は恒例の飲み会。いつになく弾けてましたね、平日なのに。お蔭で今日は皆さんあまり仕事が捗らなかったんじゃないかと思います。
やっぱ楽しいです、このメンツ。場所と時間の確定が直前になってしまったので、本当はflag75氏も呼びたかったんですけどあまりに直前過ぎて断られてしまいました、残念。
少なくとも昨日は今までで一番盛り上がりました。
すごくいい具合に個々がバラバラに信念を持って音楽に接していて(とある界隈ではこれをよくキチガイと称してリスペクトしているようですが)、回も5回と なるとお互いのスタンスが多少わかってきたこともあって、だから同調する/影響するのとぶつかるのとがどんどん等価値的になってきていると思います。必要 以上に卑下する必要もないし、ハッタリかます必要も驕り高ぶる必要もないので、無知なら無知なりの自分でいられる気楽さってのがあります。ていうか、みん な本当にいい人。そういう場に加われる幸せを感じる日々ですね。

2007年9月4日

独立から1年

by makou — Categories: Diary — タグ: コメントは受け付けていません。

おそろしい早さです。
おそろしいスピードです。
ちょっと呼吸したら3日過ぎてるくらいの勢い。

あっという間に独立1周年で、1年間で果たしてどう自分が進歩したか振り返ってみると、どちらかというと、自分の見ていた世界の狭さを実感したって感じですね。

なんとか1年間乗り切った自分にご褒美のMacBookを買ってあげました。
Ustreamはアカウント取りましたけど、カメラに映り込むとマズいものが部屋に結構あるのでたぶんBroadcastしません。音楽作ってるっぽくない部屋だって理由もあるけど。

ミク日記やはてダには何度か書きましたTumblr。ここで改めて書いておきます。本当にやられました。

FriendsのPostを見ながら「いやいや、こんなもんじゃまだReblogしねえ」と妙に高飛車になっている自分がいるんですが、結局、これは自分の好みをそうしてより細かく彫り出している行為なんだろうなと思います。
今まで感じられなかった、デザイン上の差異(門外漢だったし)について「こうしたほうがスキ」と言えるようになっただけでもボクとしては収穫。
今からでも遅くない、デザインシロウトだろうが、あの感性の洪水を体感するべき。洪水を体感した上で、デザイナーさんが作ったものに対して自分が四の五の言えるようになる、これで色々いいことあるかも。
ま、ボクの場合、日頃の音の制作活動に対してどういう影響が与えられたのか、個人的に楽しみです。今は怖くて自分の音楽作れませんけど。

光 端的 クリア

おそらくこれが自分にとってのキーワードだなと(視覚的な美感と聴覚的な美観が同じ構造かどうかは知りません)。

あと、日記に書かないまでも、日々色々思っています。
今日思ったのは、吟味。
年を取って場数を踏んだ一部のミュージシャンには「吟味」が欠けているかもしれないなと。
直感を信用しすぎというか、即断に対して偏狂的というか。
選択肢は自分で作る、自分で選ぶ、といった吟味の手順を一足飛びに超えて、一発目に思いついたものを結論としてしまう、そういう傾向がありがちなことについてもう少し懐疑的な姿勢を持っていいんじゃないかと思っていました。

ほか、思ったのは、札幌じゃ「イヤなら辞めりゃいい」って言いづらいな、駒少ないし、ってこととか、ほか色々。いずれ書くかもしれないし、でも書かないだろうと思います。

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