痛いニュース(ノ∀`):和田アキ子、葬儀・火葬について差別発言→謝罪
全部読んではいないし、番組も見ていないんですが。
ボクの子供のときも親指隠すって迷信がありましたね。救急車だったり霊柩車だったり。遠回りして通るようなことはありませんでしたけど。
ただの風習や迷信のはずが言及して視聴者からクレームを受ける、そしてその日の番組中に謝ったというニュース(?)のようです。
忌むべきものを避けることに対して咎められるのもどうか、というコメントが記事中でちらほら見えましたが。
忌むべきとされているものにどんな含蓄があるのかっていう、あと、今ただの風習なり迷信と思っているものの由来が忌まわしい歴史にある場合もあると思っているので、「ただの風習なのに」って感想にはなりませんでした。ただ、これは親指を隠すことに関して。
ちなみに、
* 《葬列にあったら親指を隠せ》と昔から言われているため、年配者の中には霊柩車などとすれ違った瞬間、無意識の中で親指を他の指で握り隠している。
* これは、古来日本では亡くなったばかりの人間の魂は、ふわふわと宙をさまよっていると考えられており、生きている人間がうっかり親指を出していると、その人の親指から死者の魂が入り、その人まで黄泉の国(よみのくに・死後の世界)へ連れていってしまうと考えられていた。
それの防護策として、葬列とすれ違った時は親指をギュッと握りしめて、死者の魂が入って来ないようにしたのだ。
* この《親指を隠す》《親指を握る》と言うことわざは、葬列以外では《夜の山道を歩くときはキツネに化かされないように、親指を握って歩け》とか《犬が怖いときは、両手の親指を握れ》などと言う物がある。
* これは単純に、握り拳を作るとパワーが集中する様な気がするせいなのかもしれないが、中国古来の『気功』では、人間の発する《気》は掌や指先から出ると言われいる。
つまり、親指を隠すと言うのは、気を身体に充実させると言う意味もある。
そんな事もあり、葬列とすれ違う時は親指を隠すようになったとされている。
- 親指 – 知泉Wiki
握り拳を作って気を充実させると亡くなった方に一緒に連れられてゆくのを防ぐことができるという説明がありますね(こっちも→日本人の「縁起」と「ジンクス」: なぜ … – Google Book Search)。
親の早死にを防ぐとか、意味合い、由来としてどれが正しいのかわかりませんが、時代や地域が変われば解釈も変容するようですし、それを言ったら気を云々ってのも本当かいなと思ってしまいます。
実は親指を隠すというのには深い意味があって…っていう話もないわけじゃないと思うし、結局のところわからないんですが。
(読んでみたい→CiNii – < 研究室だより>葬式に親指を隠す風習の起源)
それはともかく、おそらく番組中に謝ったのは遠回りして通ったって発言についてだと思われます。
ボク自身がそれよりも気がかりに感じたのは、謝罪までの早さ。「放送禁止歌」という本の中で誰がそれを放送禁止と言い出したのかって話がありましたけど、それを連想しました。
Geekなぺーじ : 「勉強になりました」は禁句
「勉強」という単語は、お金などの対価を受け取って何かをしているときには迂回すべき単語であるような気がしています。相手は「専門家としての知識や意見」に対して対価を払っているのであって、「その人の勉強」に対してお金を払っているわけではないからです。
「勉強になりましたなんて言葉は仕事を受けている側が口にするべきでない」というのは一理ある気がします。が、一方でイチャモンといえばイチャモンであるかもしれませんね。
「(お金をいただく身でありながら)勉強させていただき(畏れ入ります)」っていう、前提として立場に対する意識が込められた謙虚な言葉だとボクは思っているので、「口にするべきでない」と言われたら逆に「あ、そういうふうに理解しちゃう人なんだ」ってむしろちょっとガッカリしてしまいます。
もっとも、そういう回りくどい表現で意図が伝わらなくてガッカリするハメになるくらいなら、朴訥と思われようが初めから「ありがとうございます」って言ってしまったほうがよいのではと考えるタチなので、「勉強になりました」なんてボクはほとんど言ったことがないと思います。
というか、こういうときはみんな言っているような「勉強になりました」って言い回しを自分もしておけばいいんだろうっていう思考の流れが(あるとしたら、それが)なんだか脳みそを経由していない判断のように見えてちょっと残念ですね。
元記事に対して思うところとしてはそれが一番大きいです。
「勉強」はともかくも、雇われる立場の人間としては自分の何に対して報酬が与えられているのかについて意識を持つべきだろうなって、近年とても強く思い始めています。勉強中の身分の人々に支払われているのは報酬でなく、会社から自分に対しての投資と考えられそうですね。
間違いとは言えないでしょうけど、「もらったお金の分働きます」という考え方の人は、報酬を与える側からすると具合が悪いでしょう、きっと。
小さな会社にいると、報酬を与える側の人間と与えられる側の人間とはお互いすぐ目の届く範囲内にいるんで、よりシビアだと思いますよ。
先週の金曜日に、仕事場に置いているマイMacの一部のソフト……って別に伏せなくてもいいか、NIのAbsynthとFM8とReaktorとAkoustikPianoが揃って起動しなくなって(ElektrikPianoやKontakt、Kontaktベースのその他のソフトシンセなんかはちゃんと動く)、Appleにレポート送りまくりで、仕事が進まずイライラしていました。
んで、今日の日中になんとか直したいと思って仕事場に行ったのですが、そう、単にこれらのソフトの特有のクセ(←たしか、CDドライブにタイトル不明なままのCDが入っていると起動しない)を失念していただけで、かえって無駄な試行錯誤に時間を費やしていたんだなあと、ガックリきてしまったわけですよ。
そうそう、18~20日まで、これまで幾度となくお世話になったりしておきながら一度もお会いしたことのなかった韓国の友人たちに会いに行ってきます。
何年も前から交流を持っているのに、札幌のような田舎に住んでいるせいで、たまの来日時にもなかなか会えずだったけど、これでようやくご挨拶できるかなと。
といっても、18日は午後の飛行機で出発して夜に着き、20日は午前の飛行機で出発して昼に着くようなスケジュールになってしまい、2泊3日といえど実質は1日強しかいられないので、落ち着かない感じになりそうです。
今回は社用として行く名目なので、秋頃には私用として再度一人で行ってみようと思ってます(今回行って嫌われなければw)。
先々週と先週の土日は運良く休めている……正確に言うと、やることがあるといえばあるのだけれども、体力温存できるときにしておこうってことで休み。
自転車で昔の実家近くの床屋まではるばる髪を切りに行って、その後札幌駅までまた自転車で移動して2泊3日程度の出張に持って行けそうなカバンなんかを見ていたら、友人にバッタリ遭遇するという、ボクにしてはかなり珍しい出来事があって、お茶したり、カバン探し手伝ってもらったり。
今月はちょっと買い足しやらなんやらで出費がかさんでしまったので、まだ初旬だというのに出費ストップしなくちゃならんですね。
で、まあ、さっきも書いたように日曜日だというのに、なおかつ、休むつもりでいたというのに、家にいてもどうもマイMacのことが気になってしょうがなく、片付けられそうな問題はとっとと片付けてしまいたいタチであることも手伝って結局事務所に足を運んだんですね。
その問題は早々に解決したので、来たついでに1曲くらいやっつけて帰ろうとしたのですが、残念ながら作りながらときめく瞬間など一切出会えず、実りなく帰宅と。
秋葉原の惨事は、夕方頃GoogleReaderで海外の日本関連記事(あー、これ間違ってました。日本に住む海外の方の英語のブログだったようですね)を読んでいたときに初めて知って、もちろんビックリしたものの、よくわからず。
帰宅後のTVのニュースとかネットの記事とかYouTubeの動画とかで、もう、何と言っていいかわからない怖さや気味悪さを感じました。
自殺は別段減りもしない、残虐な殺人も減ってない(らしい)。
増えたように見せる報道はマズいだろうけど、いや、マズいっつか、‘少なくとも減ってはいない’ことが充分報道に値するんじゃないかとボクは思うんですけどね。
ともあれ、世の中がイヤになって何故か他人を殺すっていう、ちょっとボクには理解しづらいことが現実として起きる/起きたこと、自分だっていつ犠牲者になってもおかしくないそんな時代に生きていることにかなり時代の殺伐さを生々しく感じました。
そういったニュースを耳にするたびに、やっぱり万が一のことがあっても悔いがなるべく残らないように=片付けられることはなるべくとっとと片付けたいと一層強く思うようになるんですね。
亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。
ボクは特別にロリコンでもありませんし、まだ結婚もしてなければ子持ちでもありません。
しばしば報道される銃犯罪にはそのつど心を痛めることもありますが、残念ながらひねもす銃に憎悪の炎を燃やし続けているわけでもないのです。
ただ、とあるリンクを辿って目にしたこの写真を見たときの動揺は何とも口に言い表せないものでした(グロ写真ではないので、その辺はご安心ください)。
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時間の経ち方がすっごく早いようでもあり、すっごく遅いようでもあり。
仕事の重なり方が今かなりギリギリな状態。先ほどポカミスも発覚して若干凹んでいました。でも凹んでいる余裕もなく、つい先ほど引っ越し先を決定して今月半ばにはその準備も開始予定です。そういえば先延ばししていた確定申告もそれまでに片付けなきゃ、ああ、あとアレルギーの薬を切らしてしまったので病院に行かなきゃいかん、と、まあそんな感じのテンパり具合です。
たとえいま現在忙しさを感じていたとしても、無理矢理ねじ込んででも今やるべきなんだなあ、と切実に感じています。いま以上に忙しくなってしまったら余計時間を取られるのが辛くなってしまいますもんね。
昨日、その引っ越し先のことで地元大手の不動産屋のチェーン店を利用してなんとなく感じたこと。
以前に別の不動産屋を使ったこともあって、今回の不動産屋については2度目なんですけど、いずれの場合もボクにとって都合のいいユルさを持って接してくれたなと。
急成長なのか無鉄砲なのか、地元に店舗をガンガン広げているといった塩梅でして、もしかしたらこの規模拡大に合わせるべく店員の採用基準が下がっているのではないかと思うんですが。それ自体はあまり宜しくないように思えるんですけど、お蔭で「売るぜ、売りますぜ」調のギラギラした人に当たる確率が低くなって有難いわけです。
以前、全国チェーンの不動産屋で明らかに「さっさと成約済ませよう」ってタイプの人にあたったことがあって、こちらはなるべくいい物件に巡り合いたいと思って色々見せてもらっているにも関わらず、なかなか決まらない様をイライラした感じで対応してくれました。もちろん成果が大事なのはこちらも社会人なのでわかっていますが、客に向かってイライラを表に出さないで欲しいよなあと思っちゃったわけです。社員教育? その方は支店長だったんで、ああ、この店にはこれ以上期待できないんだなと悟って、結局、別な不動産屋(それが今回利用した不動産屋でもあるんですが)に行って、いい物件を紹介してもらったと。
今回担当して下さった方は、一般的に見てデキるタイプの方ではたぶんないと思うんですが、成果に対してそんなに執着していらっしゃらない(フリかもしれませんが)方で、難しい条件の提示だったにも関わらず半日ほどきっちり付き合ってくれて、いい物件を紹介してくれたので助かりました。
北海道というか恐らく地方のローカル企業って、全国レベルの商売感覚じゃなくても地元ではある程度~バリバリやっていけるという、良くも悪くも地元ルールでなんとかなっていて、地元の人からすれば接しやすいという具合ですが。でも、そういうとこが全国進出してみると、あらあらとても太刀打ちできてないじゃないのって話もよく聞きますね。‘井の中の蛙’じゃないけど地元でバリバリやっている人が全国レベルを相手にすると全く太刀打ちできないってのと一緒で。ネットなんかを通じてローカル企業がいきなり全国やら世界やらを相手にし出すことを始めたら、全国レベル世界レベルを侮っていてとんでもない目に遭うっていうのもよくある話。よくある話ですが、毎度毎度同じ失敗が繰り返されてもいますよね。
なんか、眠いんで文章ガタガタになっちゃいましたけど勘弁して下さい。