ご無沙汰してました。
現在進行中の開発がいよいよ大詰めを迎えつつあり、ほぼ時を同じくして新しい開発もキックオフされてしまったという、休憩のゆとりもなさげな昨今です。先週もずっと帰りが遅かったしねぇ。
その金曜日の21時頃にいよいよ力尽きつつあって、こりゃ次週に多少仕事にしわ寄せを残してでも息抜きしたほうがよさそうだなと思ったんで、そこで切り上げていつもの向かいのバーへ。客席スカスカ…
程なく、Riccio氏も合流してきました。偶然。
疲れを癒すために飲んでいたんで、何とはなしにフリーな話をしていたわけですが、「本当に歌が上手い人、ってのとお仕事したいねえ」的な話になり、マスターが自身の最近のお気に入りである秦基博(そういえばEBさんが以前、Mixiの秦基博コミュに入ってませんでしたっけ?)の名を出し、秘蔵でもないけどライブのDVDを再生開始。しばし3人で見る。僕が見るのはこれで三度目ですけどね。
「ライブで歌って上手いというのは、歌唱力に間違いない人ですよね」などと僕もアタリマエのことをつぶやく。CDで歌が上手くて、生で歌が「アレ?」っていうのは近頃とてもよくあるパターンじゃないですかね? いや、そこまで色々聞いたり見たりしているわけではないんで、疑問形で書いたわけですけど。
Riccio氏曰く、「一頃は、それがふつうだったよ。ライブを見て感激してCD買って聞いてみたら、そうでもなかったってほうが多かった(笑)」。あー、それは考えてなかった。
秦さんのライブを見ながら、ギター一本で歌って充分聞けるものをバンド形式にしなくてもいいのになあ、って話しました。抑揚がつけやすいってのがあるんでしょう、たぶん。ただ、その、この間、何かのブコメにも書いた気がするんですけど、足りない部分は足してどうにかするっていうのは、演奏者なり歌手の力に不足があるって言っているみたいなもんで、あまり好ましい考え方じゃないなって気はしてます。
あと、ここは泣き所だよとか、ここが山場だよっていうのを、そこまで強調せにゃならんのかっていう気も最近するのですよ…。お笑いのテロップが説明っぽ過ぎるみたいな話をかつてよく見かけた気がしますけど、なんかそれに近い印象を受けます。批判ではありません。疑問です。











