近年は曲作りに外部音源をすっかり使わなくなってきて、まれに自分でベース弾いたり鍵盤を弾いたりはしますけど、それでも2,3年以上PC内の音源ばかり使っています。
もちろん外部音源も相当進化してきているハズなので例に洩れないと思うんですが、PC内の音源、あ、つまりプラグインシンセとかサンプラーとか、あとオシレーターも含めていいかもしれんですけど、ホント、たった一個の音色でもはや曲みたいになっちゃってるのがあるじゃないですか。プリセットで。
サンプリングホールド系しかり、テンポシンク系のシーケンシャルフレーズの音色しかり。
たまに、自分が持っていて聞いたことのあるその手の音色がまるっきりそのまま曲に使われているのを耳にして、「あっ、やられた」って思うのですよ、ええ。
なんつか、この「やられた」って感覚、ちょっと不健康な感覚だなって思わなくもないですが。
で、そうした聞いたことのあるその手の音色がまるっきりそのまま使われているってのは、たしかに今に始まったこっちゃなくて、Funky Drummerのドラムがいまだに使われ続けているのと似たようなもんで、もとより人のこともどうこう言えないので、コレはよくないとか言うつもり毛頭ないのです。
でも、なんかアレコレと音楽聞いていて、たとえそのままの音色を使っているにしても明らかに使い方の上手い人と下手な人とがいる感じがしてますし、何も考えずにそのまま乗っけている人もいれば、曲にうまく沿うように緻密に加工してあるなって感じさせる人もいるって思うわけですよ。
褒めたいな、称えたいな、って思うのは、やっぱり手を抜いていないほう。妥協していないほうです。
J2氏の王道コードの話にも近からず遠からずの話かと思うんですが、要は「え? ホントにそれでいいの、自分?」って。
吟味の結果なのか妥協の結果なのか、自分で峻別できないようにはなりたくないなあ。
あの手の音色。音色って言っちゃってますけど、ボクの中では、特に自分の曲における音色については作り込んでナンボのもんと思っているんで、妥協されたものは(自分の中での)音色と言いにくいですね。
「おんしょく」なのか「ねいろ」なのかっていうと、ボクが言いにくいだの何だの言っているのは「ねいろ」にあたるかも。ここは峻別できてません。
そうそう。
それで、昔GM時代に思ったのは、あの時代って使える音色が限られていたと言ってもいいんで(そうでない人はそうである人以上に一杯いたと認識していますが)、かえって曲そのもので勝負できてよかったじゃないかと。で、今またそういう時代になってきたと。
とかいう考え方もないわけじゃないですが、別段正しくもなければ、そうした派閥を作れるほど説得力のある意見でもなく、曲に適するように音色を作り上げる/作り込む一種の求道が軽んぜられているとも言えるわけで。
曲も練られてりゃ、音色も練られている、ってのがボクにとっては理想に近いなと思った次第。
相変わらずああでもないこうでもないとか思いながら書いてるので支離滅裂です。








魂(ソウル)はここにある
駄本です(笑)















