Archive for 2月 2008

妨げるもの

http://www.youtube.com/watch?v=JCZe6eL9gDE

「知識が邪魔をする」みたいな鬱陶しい言い方は好きじゃないけど、「へぇ~」が見えなく/感じさせなくさせるものってあるよなぁとしみじみ思う。

それはそれとして。
この動画はマイミクのところで紹介されていたヤツで、そこにもコメント書いたしブコメにも記したことで、所詮未熟な鑑賞者の所感に過ぎないことは承知の上でここにも書くけど、作品からこうして周りに解釈の伝播というか連綿を引き起こしていったことはライヒにとって喜びじゃないかなって思う。繰り返しと変化っていうミニマルミュージックの味わいが、自分の作品に対して起こる鑑賞のつながりの中で起きているわけだし。
YouTubeのこの動画についたコメント、2つ3つくらいしか見てないけど、振り付けする意味がわからないってのが多いのかもしれない。でもそうした鑑賞やら解釈やらのねじれを含めたライヒの作品だと考えると面白いなと思う。ま、実際どうか知らんけど。つか、そんな、ケージと同じようなことはやらんとも思うけど。つか、現代音楽は大した勉強もしてないので、もう少し時間のゆとりができたら一通り鑑賞してみたいな。

どうでもいい話なんですが

ちょっと作業用にデータ整理をしてたら、C社時代および退社後の制作曲数がタイトル数でいうと600曲弱って出てきまして。
いや、もちろん不本意にも片手間に作ったものが相当混じってるんですけど、思ってたよりたくさん作ったんだなあと思いました。
フォーマット違いやバージョン違いも作らなくてはいけないので、ファイル数としてはその4~5倍くらいの数ですかね。
最近は、もう外の人間なので運営に対しての口出しなんかもせず、ただ作って渡す感じ。不手際があったらそのつど愚痴る程度。

かれこれ6年近く前になるんですね、あの携帯サイトができたのが。
特に開設にあたって必要な曲数を揃えるだとか、別サイトとの提携時に必要な曲数を揃えるだとか、大変な時期が2度ほどあって、もっぱらその時期に質を問わず量産したのがこの数として表れているんですね。
2年も3年も3年も4年も前辺り、着うたが注目され始めた辺りから急速に着メロサイトに対する人々の興味は失われていって、個人的には潮時だろうなと思ったというか、そもそもボク自身が着メロを‘使う’ことに対しての興味もあまりなかったというか、着メロ以外にもやってみたいことはあったので、携帯のほうはいつ終わってもいいやと思っていたんですが、結局それが終わる前に、会社員としての人生が先に終わってしまったという(あー、また別なところで始まりつつありますけどね)。

所詮携帯の音源ではそこまでクオリティの高いものは求められていないって状況が世の中にはあったんで、その先入観を裏切る使い方をすれば関心を引くことができる、といった非常に攻めやすい、ほんのり幸せな時代が最初にはありました。
そういった戦略を クリエイターである自分自身がある程度作れて、やりたい放題できた頃は手ごたえもあって、それが携帯サイトの収益にもつながるわけだから一挙両得な感じ(内部的にWin-Winな感じ)だったんですが、よくある話、だんだんやりづらいような体制になっていったんですよねえ。
そういった体制転換っていうのは今でこそ必要なことと理解できていますが、経営や運営に対する興味もない状態で働いているとなかなか必要さを実感として持てなかったりします。

そんなこんなで曲も作りながら効果音も編集しながら、時折来る携帯向けプリセットサウンドの編集やら合わせ込み(筐体の特性に合わせて音質の調整;オーディオデータの調整ではなく、MIDIデータと音色データの調整になる)をし、データベースのお手入れもしたり、もちろん今も決してヒマではないんですが、考えてみりゃあの時のほうが実は忙しかったんだよなあと。

先日の出張先で飲みながら話をしていて、 ‘働いて金をもらう’のか’、‘金をもらって働く’のかっていうのが凄く気にかかりました。
業界や会社の規模にもよるんでしょうけど、社会の仕組み以前に好みの問題として、ボク自身は‘働いて金をもらう’ほうが「認められた」的な手ごたえがあって好きです。‘よりたくさん/確実に働けばよりたくさんの報酬をもらえる’と考えたほうがモチベーション上がりますし。
だけど‘金をもらって働く’という認識の人も大勢います。
それを否定する気は毛頭ないんですが、その認識によって迷惑をかけるようなことや無責任ととられるようなことがあっては、問題が起きても自己正当化のしようがないし、フォローのしようもないよなあと。
たとえそこで責任とかいうものに対して発起しても、基本的なスタンスが個としての自分のままであると、身勝手という言葉で一括りに言ってしまえるような事態が起きかねないので危ないなあと。
まあ余談なんですが。

東京出張です

打ち合わせのため、明日、いや今日から2日間の東京出張です。今年2回目ですね。
前回もそうだったんですが、東京の知り合いや古い友人と会ったりする時間があればとは思えど、時間がカツカツ気味で。今回も無理そうですね。

次回はなんとか出張スケジュールに1日追加する形で、できれば土曜日辺りに少し時間を確保する感じで、飲んだり飲んだり、あるいは飲んだりしたいなーと思ってます。
4年くらい前に、東京に遊びなり出張なりに行ったらおごってね~なんて約束していた某デザイナーさん、彼女とはいまだに約束果たせずにいるし(新しい就職先が決まったみたいだし、おごるのはコチラ側じゃないかという気も)、他にも10年近く顔を見てない古い友達なんかもたくさんいるし。
彼ら彼女らが札幌に来ても、ちょうど時間を割けない時期だったりして、なかなかうまいこといかんのですね。

とりあえず、早く寝ろって感じですかね。

受動/能動鑑賞という視点から徒然と

っていう定義があるのかわかりませんが、30代になってからそんなことを考える機会が増えてます。といっても、そんなに深くは考えていないんですが。

作品を見せる/聞かせる側が、フォーマット化させて作品を見せる/聞かせる形。誰がどういう状況で作って、何を感じてほしいのかを、あたかもデータベースがあるかのように仕様に適合した形で伝える形。楽しい, 悲しいなどの表現のパターン化/セオリー化ってのも同じように考えられるかもしれません。
作者/演者のパターン化/セオリー化の意図が実際にはそうじゃないかもしれないんですが、鑑賞者によってはそれを‘サービス’として受動的に受け取る可能性がありますね。どちらかと言えばそちらが圧倒的に主流なんでしょうけど、いわゆる消費ってのはそのことなのかなあと。
作者/演者がどんなマインドを込めて作品を作っても、データベースの各項目に収まる情報の限りでしか伝えられないとか、もしくは鑑賞者の頭には初めからデータベースの各項目が備わっていてそこから漏れてしまう部分についてはフィルタされて受容されないとすると、作者/演者の側からすれば一言でいえば効率が悪いですね。ボク自身もあまりそう効率の悪いことをするのもアレなので、仕事として音楽を作る場合は余計なマインドを込めずに元から世の中にあるものを組み合わせて‘やっつける’ことが多いです(95%は過去の遺産、‘降りてくる’のは幻想、って某御仁がおっしゃっておられましたが、‘やっつける’場合もそうでない場合もあるわけで、昨今のようにその文言だけが独り歩きしてしまいがちなことも考慮に入れると、後人(思慮の深い人も浅い人もいるということ)への影響もありますし、こうした言い切りはかなり危険な気がします)。

iTunes のようにアーティストやアルバム名、曲名、ジャンル、発売年という具合に項目で 整理されて一望できるのは凄く便利なんですが、アーティスト名も曲名も忘れて曲の雰囲気しか覚えていないときにはどうリーチのしようもなかったり。ただiTunesにはジャケのアートワークってのが用意されていて、昔CD/レコ屋でジャケ買いしていたときの感覚が今も残っている人にとっては救いだったりもしますネ!(そういうところに恩着せがましくなく気を回してくれるのが、ボクのAppleびいきの理由だったりするんですが)。
で、そう、こういうデータベースが初めにありきで音楽に接する世代となると、もしかしたら、先ほど書いたように項目に表れない部分については受容しないのかもしれないって気がしています。作品に込めている部分があるならすべてデータベースに収めなさい、収めないならそれは表現者の怠慢であるとか、データベースに収まらない部分は作品にとって蛇足であるとか、そういう理屈が世の中のふつうになってきたりするのかもしれないとか思うと、今後何を表現していけばいいのかなあと不安になります。
今の若い世代よりも、さらに若い世代はもうそこまで来てるので、今よりもさらに「えー?」って思うようなことがほぼ必ず起きると思うんですよね、まあ、いいですけど。

うーん、毎度のことながら思いつくまま書いているので話がそれてしまいましたが。
要するにですね、型式に適合したもの以外には価値がないみたいな風潮は既にあって、というか感じちゃっていて、型式に適合させることは提供者のサービスとして当然のことで、何かを発表するならば例外なくサービスするのが当然みたいな感じにも既になっていて、その辺はボクも同調しないとは言わないんですけど、リテラシーがあまり高くていらっしゃらない方々の考える/味わう能力をさらに低減させる可能性もあるなあと。現にボクもリテラシーは低くて、考える/味わう力が失われつつある不安に駆られることがままあるわけですよ。

そうそう、肝心なことを書き忘れてましたが、項目にない要素を感じ取る受容器が退化してなくなると、項目にない要素を表現することもできなくなってしまうと思うんですよ。仕事の場合には余計なマインドを込めずにっていう今の自分のありようが極めてそれに近い状態と言えなくもなくて、…もとより項目があるように認識してしまう今の自分も問題だとは思うんですが。仕事として作られた以外の音楽(市販の音楽CDが含まれますね)を聞いて、第6感を磨けじゃないけど、感覚を研ぎ澄ますのは大事かもしれないなあと感じてます。

WPに移行しました

何の前触れもなく、WordPressに移行させてもらいました。
BlognPlusは5年近く使っていて、手軽ですごくよかったんですが、この半年くらいは記事を書き直そうとするとログアウトしてしまうというあまりにunfriendlyな問題が未解決のまま放置されていて、日々の戯言を書くにしてはよけいなストレスが溜まる→口調が荒くなるという有様でした。というわけで、ずっと気になっていたWordPressにしてしまいました。
前に一度導入を試してみたときには失敗したんですが、今回はうまくいったようです。何が違ったんですかね…。

TumblrでWordPress風のインタフェイスに多少馴染みを持ったこともあり、加えてWordPress.comにアカウントを持ってサブのブログを綴っていたこともあり、思ったほどの違和感もなく使い始めることができています。こんなところにもTumblrの恩恵が…(大げさ)。
ミニブログ風っていうのに惹かれてChyrpってのを試そうとも思ったんですが、そんなに更新頻度を高めようという気もありませんし。

随所、未整備の記事があると思いますが、少しずつ補正していこうと思います。
FeedのURLが変更になってしまったので、お手数ですが再度登録し直しお願いします。各ブログまとめたFeedを講読される方は、

を用意していますので、そちらを利用いただくと便利かと。

お仕事メモ

油断していると忘れそうになるので、メモ。

▼携帯(2月)(済)
曲:あと1曲(済)
FM効果音:完了(済)
著モノ:リストがまだ来てない(済)
調整依頼:プリセット効果音(済)
調整依頼:プリセット楽曲(金曜日中)(済)
調整依頼:プリセット楽曲(25日午前中) (済)
▼開発中のゲーム_1[A]
効果音:まだ途中。数とデータの照合作業
バランス調整:自分が担当したものでないものが全く調整されていないっぽいので確認(済)
声録り:セリフのリストアップ、スケジュール打ち合わせ(済)
曲:(今回は担当せず)。フォーマットの確定とマスタリングの依頼。インデックスとの照合(済)
6月までペンディング→再開
▼開発中のゲーム_3[B]
打ち合わせ&出張:2/21,22(済)
社内スケジュールの確認等打ち合わせ(済)
データ取りまとめ~渡し(29日中)
開発中止
▼開発中のゲーム_2[C]
楽曲1:調整中。判断待ち。渡し(済)
楽曲2:翻訳完了。来週中に楽曲制作→再来週デモ提出→判断待ち →歌録り予定(
最終週3月頭)(済)
▼開発済みのゲーム[D]
公式発表待ち
▼開発済みのゲーム_2[E]
公式発表待ち
▼楽曲提供予定のゲーム(上記_)
▼スタジオ拡張とスタッフ管理
3月中に作業場を円山に移転。ついでに引っ越し検討。(済)
▼DVD用の楽曲
楽曲1,2:スケッチ済。調整必要か確認 (済)
▼バンドレコーディング(助っ人)
5月中にRec,Arr(済)
▼確定申告
今月中はムリっぽい(済)
▽MacBookとスタジオPCのFWポート修理、オーディオI/Fの修理
ムリっぽい
▽Macのキーボード修理(済)
▽ネット環境
8日から変更?(済)

うーん、大丈夫かな?
そのうちまとめて告知するかも。しないかも。わかんない。

なんつか、確認とかその手の事務的な作業がやたら多い。個人的な仕事に関わる部分はそれでいいんだけど、通っているスタジオでは一応作る側のスタッフなので、学生のバイトか、手伝ってくれているまた別のスタッフさんに(仕事を理解してもらうためにも)お願いしたほうがいいのかもしれないな。もしくは、この先もこの手の事務的な作業は決して減ることがないと思われるので、簡単かつ確実に確認できる仕組みを作ってくれるように誰かにお願いしたほうがいいのかも。
あ、少なくとも、というか、せめてExcelを表‘計算’ソフトとして使ってもらえるように学生さんに教える必要もありそうだし。うーん、考えれば考えるほどやることが増えそうで怖いわあ。

求められる以上のモノを作りたいということ

音楽作る仕事やってて、やっぱり、どれだけ伝わるのかをものすごく気にしていて、基本的には効率主義な自分だからムダに労力を割くことを好きではないんだけど、これに関してはたとえ全ての人がその曲の伏線とか隠された意味まで理解してくれないとしてもイヤっちゅうほど労力を割きたいなと思う。
本来あまねくそうあるべきなんじゃないかなあと思っていて、安く買いたたかれることもあるけど、でもどうせ安く買いたたかれるから手を抜こうっていうスタンスでやると、質も価値もどちらも低俗なものにまとまってしまいがちになるんじゃないかなあと思っている。ほんとに。
外に絶対に漏らさない隠し味や技法で絶妙に味付けされた、職人の料理なんか考えてみたり。

割り切ったスタンスによっていろんなものが辻褄合うようになって、いろんなものを論理レベルで語り合えるようになってきて、いろんなものの質と価値とがいわゆる相場ってもので相対的に判断しやすくなったとは思うけど、まわりまわってリスニングも制作も簡易化(小手先化/事務化)が進んでしまっている気がする。
歌詞で聞き取れて歌詞カードで確認できる以上のもの(小細工とか伏線とか、ちょっとしたご愛嬌とか)を音楽から感じ取ることができない人のパーセンテージは増えてきている気がしてて(観測範囲内で目につきやすくなっただけかもしれないが)、彼らでもわかるように歌詞にだけ心血を注いであとは御仕着せの伴奏でいいみたいな音楽が常道になってきてしまっている気もしている。

平たく言えば報酬以上の仕事をするか否かって話で、損をしないビジネスのために労力を制限するっていう発想なんだろうと思うけど。労力を割くことが損だという考え方が現世利益的というか、刹那的だなって気がする。

クライアントから「まあ、なんか適当なものでいいです」とか言われると、そのクライアントも音楽に携わる仕事のはずなのに、ああ、こんな人が音楽を中抜きにしていくんだろうなと感じるとともに、そんな人が音楽の世界の屋台骨を支えていることにも虚しさを感じてしまう。