明日から出張なので、3日間くらいはネット見ないかもです。無事帰札したら一件だけ報告予定ありますが。
今週入ってからは待ち疲れというか。
臨戦態勢整えておきながらも一向に敵軍やってこないみたいな、もやーんとした日常。
仕事と関係ないんですが、
/ekskleiv/ : jinon: makou: jinon: そうそう、いろんなところでお世話になってる…
そうそう、いろんなところでお世話になってる @makou さんがおらのサイトをブクマしてくれたんだけど、そこで「twitterやtumblrなんかでのjinonさんと面白いくらい小説のイメージが合致して る。」ってコメントしてくれてすごく新鮮だった。自分では分からないので…。
実際には会ったこともないのだけど、目の前で語られているのを聞いているような、
他の誰でもない@jinonさんが語っている、そんな錯覚。
あまり味わったことがない不思議な感覚。それは不思議な感覚ですね。僕も体験してみたいですw
一つ思うのは、それは twitter/tumblr 等のサービスが可能にした、あまり一般的ではない体験かもしれないということです。もちろん、makou さんの感性があってのものであるのは言うまでもないですが。あと多分「境界」(http://jinon.jp/shortstories /kyoukai/001.html)という短編を読んでいただいての感想だと思いますが、あれはかなり古い分、確かに僕のコアの部分が出ているのかもし れないと思います。
それはともかく、一連の makou さんの感想はいろいろと考える燃料になりました。なので後でちょっとした記事をサイトの方に掲載するかもしれません。その際はもちろん引用とかリンクとかさせてもらいます。なにとぞご了承下さいまし。
人となりを知るほど合致感は薄れるかも、などというと身も蓋もなさそうですが。
あの距離感だとこういう感覚になるのかー、と思いつつブコメ書いたのを覚えています。
ちなみにaboutに目を通した後「アイスファンタジー第一話」読んでブクマってから「境界」読んで、twittstarに気付いて足跡付けました。他のはまだ読んでいません;スイマセン。引用、リンクに関しては容赦なしにしていただいて結構です。
TwitterやTumblr.、あとLast.fmでもつながっているjinon氏の小説サイト(連載やんじのん)がオープンされたのをやや遅れて知って、早速読んでブクマったらTumblr.上でレスポンスをくださったのですよ。
あらかじめ書いておきますが、その日々のTwitterやTumblr.で流れてくるつぶやきやコメントを読んで、憧れを感じる一人なのですね。だから私のほうというと恐縮しまくっているのですが。
あともう1つ、文学詳しくないです。文学どころか全般に亘って暗いです。だからこそ、この歳になって慌ててあちこち徘徊してる…彷徨してるといったほうが正しいのかな、そんな感じなので、もし買い被っている方がいらっしゃったとすればゴメンナサイと(卑屈にはなるもんか!)。
イメージが合致したと感じたその根っこ、それがどこにあるのかなあ、それを今も自分なりに色々考えているのですが、一つ思い当たるのは、ある日のTwitter上での氏のつぶやき(プライベートなことなのと、ログ探すのがちょい面倒なのとで、海に行った辺りの発言というふうにボカしておきます;なんかストーカーっぽいですけど、わりとそういうのが記憶に残っちゃうもんでスイマセン…)で、そのタッチというか、出来事に対しての距離感というか、目で何を見てそれが語順含めてどういう順序で語られるとか、その辺りの印象が一致したのかなあと思っています。
あまり印象のいい言い回しじゃないかもしれませんが、セピアがかって見えるというか。Tumblr.で氏がどういう絵や写真や文章に興味を持たれているのかもdashboard越しに(正確にはフィードですが)見ちゃっているので、何かボクの中には氏に対するイメージができちゃっているのかもしれません。それが合致したのかもしれませんし。
それはさておき、凄く親しいわけではない、だけど日々の(誰に語るでもない)つぶやきを見て知れるのって、案外不思議。
そうした特殊な状況下、いや、人や住んでいる地域によっては全く特殊じゃないかもですが、そんな状況下だとふだんの何気ないことも何気なく感じられるのかも…、そしてそういう時代になってきているのかも…、だとしたら感じられるかもしれないことを逃さず感じられるように常時気を張ることがクリエイトする人間にとっては必要とされ始めているのかもしれん、と感じました。あ、それ自体を今の今まで感じ逃していたのかもしれませんけどね。
話は変わって、↓ここからは下書きしたまま放ったらかしにしていたモノ。
2008-10-31 – とろけるあめ : 作品乞食のススメ
途中で切って意味不明になるとよくないと思ったので全文引用。
なにか映画をみたり、本を読んだり、舞台をみたり、絵をみたりして、それがあまりすきじゃなかったとしても、わたしはそうそう「つまんなかった」で片づけられない 作品からなにかしら得ようとしたくなる。それはせっかくお金をかけてみにいったり、読んだものを切り捨てるのはもったいないとおもってしまう、貧乏、ケチだから。それにわたしの頭はまだ薄っぺらだから、作品からなにか得て頭を更新しないととおもうから。 なにか作品をみたあと、つまんなかったとか、面白くないとか良くないとつっぱねることのできるひとって、いろいろ豊かなんだとおもう。作品を見に行くためにかけたお金なんて惜しくないお金持ちで、作品からなにか得なくたってすでに頭がお腹いっぱいだというひとだとおもう。 作品に対するときは、ぜったい、貧乏のほうが、頭がぺこぺこのほうが、鑑賞者としてしあわせだとおもう
消費者ではなく、あくまでクリエイトする人としてのお話と解釈して。
20代のころ似たようなこと(貶すポイントだけを探して作品鑑賞する知り合いがいるって話だったので、‘似たようなこと’としておきますが)を考えていて、今はまたそれと少しだけ考えが変わっていまして…。進歩なのか退化なのかわかりませんけども。
ブックマークコメントにも書いた通り、あまり好きじゃないものを見て「つまらない」以外の感想を持てないのはお金や時間関係なしに、自分という人間そのものが貧しいのかなとボクは思っています。失敗を次に活かせないのと大して変わらんのじゃないかなと。







